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1976年モントリオール五輪アジア予選 韓国戦(連載第196号)

2013年6月9日

※1976年モントリオール五輪アジア地区予選のチケット
※1976年モントリオール五輪アジア地区予選のチケット

※その時の国立競技場の試合写真 満席に見えるがゴール裏は空席が目立った
※その時の国立競技場の試合写真 満席に見えるがゴール裏は空席が目立った

※試合前のセレモニー、右側が日本代表左側が韓国代表
※試合前のセレモニー、右側が日本代表左側が韓国代表

37年前の日韓戦・・・・・

 先日押し入れの中を整理していると過去の写真がたくさん出てきた。整理をする順番は、最後に思い出のものというけれど、写真や手紙はすんなりと捨てきれない。その中に37年前の日韓戦の写真があった。来年のブラジルW杯に出場確定してほっと一息、本日は昔の思い出に浸ってみたい。そして過去の写真から見えてくる日本サッカー史の一部を覗いて見よう。私にとって日韓戦は、もうひとつのWカップなのだ。

いつもの視点から探ってみよう

 私のサッカー観戦の3つのポイントから分析してみる。第一はチームについて、このゲームの日本代表メンバーは以下の通りだ。監督は長沼さんだった。

GK 瀬田龍彦
DF 斉藤和夫、川上信夫、清雲栄純、大仁邦彌
MF 森孝慈(前田秀樹)、落合弘、藤島信雄
FW 高林敏夫(吉村大二郎)、釜本邦茂、永井良和

 このメンバーで名前に覚えがあるのは、釜本、永井、大仁、清雲、森、落合、吉村ぐらいだろうか、すべてJFLに所属しているアマとノンプロの選手たちです。瀬田、高林は日立製作所、藤島は日本鋼管の選手だった。大仁さんは、当時三菱重工のDFで現在の日本サッカー協会会長である。皆さん地方クラブや各協会で要職を歴任されている。この時代まだまだトータルサッカーは根付いていない。それぞれの持ち場での職人たちだった。残念ながらこのゲーム対戦相手の韓国に0-2で惨敗している。

 この年アジア連盟にイスラエルサッカー協会が加盟していて、チームの警備上の問題でイスラエルとのホームゲームが韓国で開催された。日本国内唯一のホームゲームがこの日韓戦だった。イスラエル、韓国相手に日本は敗退した。長沼さんはこのあと日本代表監督を辞めている。

 第二はスタジアムについてです。写真から国立競技場は多くのファンで満席に見える。実際は58000人の観客だった。その上、芝が枯れている。現在の芝は冬でも枯れない。長年多くの選手や関係者が国立競技場の芝の問題に悩まされてきました。当初は、冬に枯れる高麗芝(夏芝)が植わっていました。それをティフトン芝(夏芝)と他の品種(冬芝)との混合にし、それを二毛作することによって一年中緑を絶やさないピッチに変身させました。

 試合前のセレモニーで気のつくのは、メディアの数が少ないことです。今と違って日本代表戦でも満員になっていません。この年、イングランドのマンチェスターシティが来日しましたが同じ国立の試合でも16000人の観客でした。メディアの数もさながらテレビカメラがどこにいるのかわかりません。

 選手が入場するゲートからピッチまでの花道にレッドカーペットはありません。現在の試合開始前のセレモニーの高揚感はすばらしい瞬間です。代表の入場をワクワクして見ることが出来る演出はお見事です。

 第三はレフェリーについてです。この試合、データブックではシンガポールの審判です。 それ以外の情報はありません。戦後通算してAマッチ128試合目に当たっています。ちなみにサッカー協会では戦前の国際試合をAマッチとして認定していません。現在まで五百数十試合を国際Aマッチとして対戦していると思います。

※ 国際Aマッチ=年齢制限の無いA代表同士のゲーム
※ 国際Bマッチ=片方もしくは両方のチームに年齢制限があるB代表同士のゲーム
※ 国際Cマッチ=一方がAまたはB代表でもう一方がクラブチームによるゲーム

サッカーは進化している

 スポーツ競技は進化しています。サッカーも進化しています。ルールやシステムやレフェリーの数などを見ても明らかです。今後どのように進化していくのか、それを解き明かすことが出来れば強いチーム作りが可能になるでしょう。 37年前のゲームと先日のゲームを比べたら日本代表の進化が良く理解できると思います。膨大な過去のビデオと生き証人である元代表選手たちの証言を集めて進化の歴史を解き明かす企画を採用してくれるテレビ局はないだろうか。

 ブラジルでは、一年後の開催に向けてスタジアムの完成よりも、いかにしてブラジルが優勝できるかが話題のようです。未来志向で行くべきかもしれません・・・・。