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コンフェデ杯メキシコ戦(連載第199号)

2013年6月23日

※日本代表イタリア戦善戦の記事が掲載された京都新聞のスポーツ面
※日本代表イタリア戦善戦の記事が掲載された京都新聞のスポーツ面

※メキシコの鳥人間ことフライング・インディアンの奇祭。地面から90メートルの長い棒の先端から吊るされた大人の男性になるための儀式。空中で13回転しながら下りてくる。以前メキシコで偶然出会った。最初サーカスかと思った。
※メキシコの鳥人間ことフライング・インディアンの奇祭。地面から90メートルの長い棒の先端から吊るされた大人の男性になるための儀式。空中で13回転しながら下りてくる。以前メキシコで偶然出会った。最初サーカスかと思った。

イタリア戦善戦の評価は今回のメキシコ戦次第だと思う

 イタリア戦後の日本代表への評価は、各紙とも概ね良好であった。しかし、喜んでばかりいられない記事もあった。早々と一次リーグ敗退となったわけだから、責任問題を指摘する人もいる。初戦のブラジル戦は、一方的な負け試合だった。このゲームを取り上げるには気分的に重すぎる。反省も将来につながらないと意味はない。だからあえて次回のブラジル戦まで(いつ実現するか不明だが)蓋をする。

 日本戦は、イタリアにとっては話題にしたくないゲームだろう。日本にとっては収穫もあったが、その評価はこのメキシコ戦の後にしようと思っていた。しかし、結果1-2の敗戦で終わる。世界が遠のく3連敗だった。

メキシコ戦最後の収穫か・・

 日本代表の評価が決まるメキシコ戦だった。得点差以上に日本の欠点が露出した。アジアでは優位に展開する日本のパスサッカーも世界では通用しなかった。メキシコ戦後半のメンバー交代についてはザックの不可解さが目立つ。新しい人の投入よりも古い人を投入している。4バックから3バックへ変更もしている。そして、終盤長友の負傷で4バックに戻した。

 このゲーム、栗原、細貝、酒井と先発陣が変わった。攻撃陣に変更はなかった。第一ラウンド敗退が決定しているので、ガラッと新しい先発と思っていたし最初から3バックを試すかとも思っていた。まだまだ完成が見えていない3バック、半信半疑の選手に動揺が見え隠れする。

 日本の攻撃の行き詰まりも見えてきた。同じようなパスサッカーでは、守備を厚くされるとシュートまで行けずにボールを失う。この様に・・

 こんな展開が何度も続く。そりゃ負けるのは当たり前だ。もっと、早いパスと早いシュートを繰り返すことだ。サイド攻撃も中央突破も早さが問われてしまう。全般的に速さが足りない。その上、ミドルシュートとフリーキックからの得点がない。かつてのコンフェデ杯では、フリーキックからの得点があった。今回はゼロだ。日本のサッカーに不足しているのは、パスを速くすることと、フリーキックからの得点だろう。余計なパス回しは罰金ものだ。

 終了間際のPKをなんとか川島が防いだが、メキシコの相手がうまかった。無理やり倒れるのでなく、自然と足がもつれるように内田に体を寄せ付けていく。結果足がもつれて自然体で倒される。そして、PKを取る。日本の選手の疲労と悲壮感がテレビ画面から直接伝わったゲームだった。

 何度も言ってきたけれど、選手交代とシステムの変更が唯一試合でできる監督の仕事だ。
そういう意味からザックの責任も重い。W杯最終予選の3月のゲームからブルガリアとの親善試合、そしてコンフェデ杯と日本の限界が浮き上がってきた。疲労の蓄積もあろうが早い切り替えが必要で本番に向かって再スタートを切ってもらいたい。

ブラジルで何が起こっているの・・

 ブラジル各地のデモが100万人を超えた。W杯開催よりも庶民の生活が第一であるということだろう。私たちは勘違いしていた。W杯やオリンピック景気で全国民が潤っていると思っていた。実際は、一部の富裕層が潤っているに過ぎない。多くの国民は高額なチケットを買ってコンフェデ杯を見に行くことはできないのだ。無類のサッカー王国ですら国民はサッカーよりも生活を選んだ。

 私は先日コンフェデ杯がチャンピオンシップだと言った。そして、W杯本番へのテストであるとも言った。実際はコンフェデもW杯も大金が動くマネーゲームの要素が高い。ある人々はその大金の動きを知っている。社会全体に広く潤うまでにどこかで乾いてしまう。
乾ききった国土に夢から覚めた人々の苦しみが映し出される。そう考える何だかやりきれない。