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コンフェデが終わりW杯ブラジル大会までの道のり(連載第200号)

2013年6月24日

※W杯優勝トロフィーのレプリカ(サッカーミュージアムにて)
※W杯優勝トロフィーのレプリカ(サッカーミュージアムにて)

ザック監督の評価は・・

 指揮官はこのまま大会まで続行だろう。もちろんW杯出場権を獲得し、当初の契約通りブラジルで戦うことになる。選手も監督も長い目で見る必要があるのは事実だ。コンフェデ全敗は、指揮官の責任でもある。結果だからしかたないと言えばそのとおりだ。イタリア戦後半途中からのハーフナー・マイクの交代やロスタイム直前での中村の投入に何を意味するのか分からない。3-3の時点で大幅に選手交代すべきだった。DFの吉田に代えて栗原、FWの前田に代えて乾、遠藤に伊野波いうことで、今野をボランチに上げて守備を重視する。本田のワントップにして乾を左に香川をトップ下にする。攻撃に変化、守備にスタミナを補充する。

 苦しい持久戦には、はっきりとした意志表示が必要だ。動きの悪いイタリアにセンターバックの交代は問題ないし、その直前に今野がいる。本田の動きが悪くなってきたが前線で張ることはできるはずだ。三人の枠を一度に使うことで、明確にピッチのメンバーに対して指示するのだ。もう、後はない。このメンバーで戦う覚悟を示せばよい。

 メキシコ戦では新しい人や3バックを試してみることだろう。それは最初からでないと意味をなさない。場当たりの作戦ではついていけない。

 私の経験からも監督が試合中に判断することは限られている。だから優秀なコーチのアドバイスが必要でその上、監督は常に金庫の中の有り金をギャンブルにつぎ込む覚悟と勇気が必要なのだ。その意味ではザックは大勝負できない人かもしれない。

日本代表とスタッフの仕事・・

 最近日本代表は固定化されてきている。私はこれを良しとしない。もっと新しい選手を選出してトライさせるべきだ。海外に散らばった選手に対しても監督から宿題を出すべきだ。ひとりひとりに課題をだしてワンランク上を目指す。

 現場のスタッフも事務方も多くの問題を抱えて、ひとつひとつ交渉が待っている。近いうちにザックを囲んで懇親会を開催すべきだ。協会の重鎮かスポンサーの社長が提唱すればよい。日本人スタッフからの声は待っていても挙がってこない。イタリア人監督やコーチからも日本の習慣は壁となっているはずだ。

 システムはどうするのだろう。3バックか4バックのことである。今回3バックをブルガリア戦で試したが、結果機能していない。しかし、ザックはパスサッカーの近代化には3バック体制が欠かせないと思っているはずだ。3バックは、日本が世界に打って出る最後の戦術かもしれない。しかし、何度トライしても完成度の青写真が見えてこない。

本大会では何に気を付けるのか・・

 いろいろとあるだろう。今日すべてものを出せない。大会が近付くにつれてわかれば良い。日韓大会時もそうだった。蒸し暑さに天気が晴れて予想以上の気候条件となった。会期も途中でキャンプから数えると1週間から10日間になってくる。ある時イングランドの移動に同行していて、明日のブラジル戦については天候次第であると誰かが言った。彼らは私の目から見ても疲れていた。

 ブラジル大会は冬の大会だが、南アと違ってブラジルは北に位置している。マナウス、フォルタレザ、ナタール、レシフェの4会場は赤道に近い。できればそこを出来る限り避けたい。南部のサンパウロ、クリチーバ、ポルトアレグロとは格段の差である。長距離移動の問題点もある。まずは12月の抽選会が大きなチャレンジだろう。ザックがくじを引くが彼の人生最大の大勝負が待っている。

ワールドカップトロフィー

 W杯優勝国へのトロフィーには、様々な歴史がある。初代のトロフィーはフランスで作られた。当時のFIFA会長ジュール・リメの名前をとってジュールリメ杯と呼ばれた。純銀製に金メッキが施された4000グラム弱のものだった。ナチスドイツの没収事件や盗難事件などを経て、1970年ブラジルは三回目の優勝でこのトロフィーの永久保持国となる。しかし、ブラジルでも盗難にあって、現在はそのレプリカ保持国になっている。

 二代目のトロフィーはイタリアで作られた。18金製で5000グラム弱である。1974年西ドイツ大会から使用された。私が初めてW杯を観戦した年である。このトロフィーは歴代優勝国が引き継ぎをし、引き継ぎ後はそのレプリカが授与されてきた。

 現在のものは三代目で2005年に一部デザインが修正され6200グラム弱と一回り大きくなった。2006年のドイツ大会から使用され、優勝国授与後はすぐに回収され、優勝国にはレプリカが渡されている。私の記憶では、2002年に優勝したブラジルチームを成田空港のサテライトまで誘導し、そのトロフィーを機内に運んだものは本物ということなのだろう。最後のチームを公式に見送った時、飛び立っていくブラジル航空に向かってバンザーイと叫んだのを覚えている。

連載200回について思うこと

 ようやく連載200回を迎えることができた。7年目にして200回を達成することができた。ただの通過点というわけではない。サッカーに関係することで思いのたけを綴らせてもらった。私流に言うと、たかがボール蹴りである。されどボール蹴りである。当初は2002年のW杯日韓大会の仕事が終わって関西に帰還してきたけれど、呆然と数年経ってしまった。それで日韓大会の思い出話を書き始めたことが今日まで続いてしまった。100回目でやめようかと思ったけれど、日本代表は毎年強くなっていく。今や世界最速で本選を決めるW杯常連国になった。その強さが背中を押してくれた。

 この国は世界に類を見ない治安の良い国である。女性、子供が夜にサッカー観戦できる国、夜桜見物できる国だ。しかし、ある意味、真のサッカー文化は育まれていない。まだまだサッカーは一スポーツイベントの域をでず、町の活性化のための手段でもある。しかし、いくつかの町では着実にサッカー文化が根付いている。その格差が歴然とした国でもある。

 私のコラムがわずかでもサッカー文化の礎の一つになりはしないかと思っている。そのために継続することが大事である。ある有名なシンガーソングライターが「人生は発表することだ」と言った。私は幸いにして200回も発表する機会を頂いた。それも「サッカー」というキーワードを通じてだからなおさら幸せ者だ。