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ヨーロッパ選手権決勝はフランス対ポルトガル (連載第363回)

平成28年7月11日

1998年W杯フランス大会準決勝 イタリア対フランス戦 サンドニのフランス競技場にて観戦した。
※1998年W杯フランス大会準決勝 イタリア対フランス戦 サンドニのフランス競技場にて観戦した。

今年のユーロは1-0でポルトガルが初優勝

 今朝の参議院選のニュースの合間に早朝の試合結果が入って来た。舞台はW杯フランス大会同様のパリのサンドニのスタジアム。私は98年に超満員のこのスタジアムでフランス対イタリアの接戦を観戦する栄誉を授かった。いまでも大歓声のスタジアムの雰囲気が伝わってきている。

 ユーロの決勝は地元フランスと二度目の決勝進出をしたC・ロナウド率いるポルトガルだった。私の予想は大きく外れている。このファイナルのひのき舞台にはドイツ、ベルギー、スペイン、イタリアという強豪は這い上がってくることはなかった。どちらかと言えばベスト8留まりだろうと想像していたポルトガルがここまで来るとは信じていなかった。ポルトガルのグループリーグは決して良くはなかった。二位で抜けている。そのチームが二度目の決勝に進出してきた。

 一方フランスは地元の声援を背に準決勝のドイツ戦をものにして勝ち上がった。今大会得点王に輝いたグリーズマンの活躍が好調さを示している。優勝するためには若くて生きの良い無名の選手(グリーズマンには失礼かもしれない)が活躍することが要件でもある。優勝はフランス有利と思わられていた。

 ゲームに入る前にメンバー紹介で知りえた現実が見えた瞬間がある。それは両チームともに多くの黒人選手を有していることだろう。EUにおける移民問題は引き返すことは出来ない世紀に入っている。

 思い出すのはポルトガルの黒豹と呼ばれたベンフィカ・リスボンに所属したエイゼビオという選手だ。彼はペレの再来だと言われた名選手で日本にも来日したことがあった。私の少年時代に神戸御崎公園で観戦した思い出ある。両国のアフリカにおける植民地時代の名残というと軽すぎるかもしれないが二世、三世がサッカーを通じて国を背負う象徴的なシーンであった。

 C・ロナウドには何かが起こる。代表としてチャンピオンフラッグに乏しい彼にとっては最後のチャンスかもしれなかった。不思議とネガティブな出来事が起こる。そしてそのとおり負傷欠場してピッチを去っていった。いつもの彼がよくする仕草は少年のハニカミのような顔つきだった。担架で退場するロナウドに両チームの監督が手を差し伸べている。

 ゲームはフランス有利のままに進んで行くが得点が取れずに延長に入った。延長では何が起こるか分からない。延長後半立ち上がりポルトガルの攻撃に少しの間合いが開いた時エデルのミドルシュートがフランスのゴールネットに吸い込まれた。これが唯一の得点だった。

 フランスは地元で負けた。そして初優勝のポルトガルは負傷したロナウドが優勝トロフィーを高々と掲げていた。右足痛まないの?・・・と思うほどにこの一時に酔いしれていた。かつて自国開催であった2004年の決勝、伏兵のギリシャに0-1で敗れて準優勝になった時、十代のロナウドが流した涙を忘れることはない。

 サッカーは何が起こるか分からない。決して最強国が優勝するとは限らない。監督曰くポルトガルは決して弱いチームでもない。