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岡野元会長逝去 85歳 (連載第383回)

平成29年2月4日

※西明寺境内の苔むす庭園
※西明寺境内の苔むす庭園

岡野俊一郎さんとの出会い

 岡野さんとの初めての出会いは今から48年前、私の高校時代であった。当時高校二年生でサッカーに心底から打ち込んでいたころ、岡野日本代表コーチが全国巡回コーチングで私の高校にやってきた。岡野先生は私達が取り囲んでいる中、京都市内の優秀な選手を指導していたのである。遠目から見る岡野さんはテレビで見たことはあったがそれよりも若くキビキビとした動きだった。一番強烈な印象はボールを足でパスするのでなくハンドボールのように手でサッカーボールをパスするようなトレーニングだった。48年前はとんでもなく斬新なトレーニングだったと思う。夕暮れまで続いたコーチングは今でもはっきりと脳裏に刻み込まれている。

 あれから32年後、二度目の再会は2002年日韓共催でのW杯組織委員会であった。有楽町のオフィスで同じフロアで私は働いていた。すべてが新鮮で人生を掛けた仕事だった。行事に参加したりトイレで並んで用を足すこともあった。挨拶をしたら仕事の進捗を尋ねられたことがあった。

 しかしあの時の印象(高校の時に巡回コーチであったこと) を話す勇気は湧いてこなかった。しばしばサッカー協会から出向された私の直属の上司が岡野さんの実家の和菓子屋から仕入れた塩大福を下げて出勤してきた。そして毎回ご相伴に授かった次第だ。それは一回り大きい大粒の小豆がぎっしり詰まった塩大福餅だった。立派な箱入りだった。あの時の美味しさはしっかりと覚えている。

 岡野さんと言えば三菱ダイヤモンドサッカーでの解説が有名で私も何度も見たことがあった。当時ヨーロッパサッカーの放送はまれでダイヤモンドサッカーが唯一と言って良いほどであった。東大出身の岡野さんは英語が達者で日本代表の通訳を兼ねたコーチや監督を経験された方だった。今は亡き長沼元会長とのコンビは有名で現在の日本サッカーが存在するのも彼らがいたからである。これは紛れもない事実である。

 長沼さん岡野さん、そしてクラマーさんと日本サッカーの礎を築いた三人の恩師が亡くなった。今はただ冥福をお祈り申し上げます。そして今度上野に行ったら岡埜栄泉(和菓子店)によってあの大福をもう一度食べてみたい。