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京都国体を成功させた人々の「思い出」あれこれ

■京都府立大学グラウンドの夜間照明

京都国体を成功させた人々の「思い出」あれこれ

<元国体局体育振興室長・川北智世さんの思い出>
 平成20年8月末、京都新聞に京都府立大学グラウンドの開放の記事があった。そのころのある日の夕方、たまたま、ある病院の8階からグラウンドにこうこうと照明が点いていた。

 京都国体を迎えるにあたって、競技団体から「競技力強化には、どうしても練習場の確保が必要」と求められていた。その対策の一つとして、府立大学のグラウンドに照明設備を設ける案があった。スポーツ振興に関わることだから、私がいた振興室でやれ、ということになり、ある日、府立大学の事務局に出向いた。事務局長のところに、ちょうど国体局長が偶然おられた。お互いに「何…」という感じだったが、照明設備の事情を話すと、大学の事務局長は「大学の予算については、最後の数字を知事に説明した後なので、国体局で予算化してほしい」と言う。「それでは、うちで。じゃあ、君のところ(スポーツ振興室)でやって」と国体局長。

 競技力向上対策本部との話し合いでも、強化は本部、施設は国体局、ということになった。それから、電気代を含む予算、グラウンド近隣住民への協力要請などの準備だ。大学の施設担当者らと一緒に、地元の町内会長さんらを訪れた。ある人は、このときとばかりに、大学に対する苦情などを訴えてきた。

 さて、府立大学のグラウンドは、往年の陸上競技の関係者の中には「植物園のグラウンド」と懐かしむ方も多かった。完成して、点灯式を終えると、競技団体の役員から「府はこういうことをしないといけない。我々もやる気が出てくる」と聞かされたものだ。

 京都国体後も、京都の競技力は高いレベルを長く保っている。大変、喜ばしく力強いが、その背景には、多くの支援とたゆまぬ努力があることを忘れてはならない。京都国体から20年。今でも、府立大学グラウンドの照明が加茂川べりの桜を照らすシーズンは、一見に値する風情があると思っている。

■華やかだったプラカード隊

<競技式典班 前田 勉さん(元京都府高体連会長)>
 国体や全国身障者スポーツ大会の選手団は毎回、華やかなプラカード隊によって先導されますが、京都国体では、シンボルカラーで彩った着物をイメージしたコスチュームで、京都らしい開会式を演出しました。

 都道府県のプラカード保持者は、国体史上初の公募で選ばれました。対象は18歳から26歳で、13団体から65人が決定。10回ほどの練習を重ねました。

 社会人、大学生など年齢も職業もまちまちでしたが、本番では見事に結束して行動してくれました。また、65人を京都国体と、全国身障者スポーツ大会の振り分ける作業もスムーズでした。

 京都府のプラカードを持ちたい、という希望が多くなると予想していました。しかし、入場行進後、47都道府県が横一列に並んだとき、中央に来る府県に最も長身の保持者を配置し、左右に身長順で並んでもらうようにしました。京都府のプラカード保持担当も、その方針のもと、身長で決めました。衣装は、市田ひろみさん(服飾デザイナー)に着付け指導をしていただきました。

 京都国体の年には、8月にインターハイの相撲競技も京都で開かれました。京都府高体連事務局長をしていましたので、京都国体とインターハイの両方に携わり、その年の4月からは、ほとんど休みなしでした。そのことが、メモ帳にも記されていますが、「自分史」の中でも、最も思い出に残る出来事でした。