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京都国体の準備の歴史を、京都新聞紙面の見出しから振り返る 1980~1985

(左)1980年1月19日(右)1980年5月29日
(左)1980年1月19日(右)1980年5月29日

西暦(昭和) 新聞発行日
1980(55)年 1月19日 日本体育協会が、昭和63年の京都国体開催を内定。
全国1巡目の最後として、昭和62年に沖縄県で開催、京都府は2巡目のトップ。
5月29日 宇治市内で、京都府立山城総合運動公園の起工式。京都国体の夏季大会の主会場になる
11月29日 京都府立伏見港公園に温水プール付き総合体育館の建設計画が明らかに。京都国体では、相撲会場に。

1981年12月5日
1981年12月5日

西暦(昭和) 新聞発行日
1981(56)年 7月25日 日本体育協会国体委員会が、高校生の在日外国人の国体参加を決定。この年の滋賀県開催「びわこ国体」から適用。
12月5日 京都国体の主会場が西京極陸上競技場に決定。林田悠紀夫・京都府知事と、今川正彦・京都市長のトップ会談で。
(桝岡義明・京都府体育振興室長=国体開催時の府国体局長=の話
主会場は、国体のふるさと・西京極でというのが府民の願いだっただけに、こんな喜ばしいことはない。
二巡目にふさわしい国体づくりを進める。)

1982年1月20、21日
1982年1月20、21日

西暦(昭和) 新聞発行日
1982(57)年 1月20日 国体の得点計算方法を改革、中学生の参加も。
京都府と日本体育協会の「京都国体問題検討懇談会」が、1年間の改革検討を集約。
1月21日 京都国体で、成年2部制を提言。
9月28日 京都国体の会場は府内80パーセントの自治体に、と林田悠紀夫知事が府議会で表明

1983年3月16日
1983年3月16日

西暦(昭和) 新聞発行日
1983(58)年 2月3日 京都市の西京極総合運動公園の大幅な改修計画を発表。宝ケ池にラグビー場新設も。
3月12日 日本体育協会国体委員会が京都国体での改革を承認。
3月16日 京都府競技力向上対策本部が、競技団体ごとに、強化のためのヘッドコーチ制度を導入。

(左)1983年10月4日(右)1983年11月5日
(左)1983年10月4日(右)1983年11月5日

西暦(昭和) 新聞発行日
1983(58)年 10月4日 日本体育協会が、2巡目トップの京都国体からの改革として、成年2部制など8項目を承認した。
「開かれた国体」を目指す。案では
(1)成年2部制の導入(2)総合成績の得点計算方法の簡略化(3)中学生の参加(4)公開競技の拡大
(5)現行参加人員の大枠維持(6)開催都道府県の内定を1年早めて5年前とする(7)大学生の出場拠点の限定
(8)国体開催中の国内有力競技会の実施禁止。
10月7日 京都府国体準備委員会が、炬(きょ)火の採火地とリレーコースの原案を発表。
採火は、与謝郡伊根町(当時)、相楽郡南山城村、京都市左京区の3カ所。
リレーは、府内44市町村(当時)を5つのコースで行い、秋季大会の開会式前日に府庁に集火する。
11月5日 京都国体のテーマ(愛称)が「京都国体」、スローガン(合言葉)は「新しい歴史に向かって走ろう」に決定。
京都国体準備委員会の第7回総会で満場一致。

1984年8月30日
1984年8月30日

西暦(昭和) 新聞発行日
1984(59)年 8月30日 マスコットデザインが「牛若丸」に決定。愛称を募集へ。全国から518点の応募があり、選考を経て決定した。
当時の林田悠紀夫知事(故人)は「この『牛若丸』が府民はもとより全国の人々に親しまれ、すばらしい国体
となるよう願わずにはいられません」と語った。
当時のテーマカラー等制定委員会の小谷隆一委員長(故人)は「京都らしさ、いきいきとした若々しさ、
はつらつとしたスポーツ精神を表現している」と語った。
10月26日 シンボルマークが決まった。全国から459点の応募があり、選考した。
先催県が具象的なものを選んでいたが、京都は二巡目トップ開催ということで、初めて抽象的なイメージを採用。
11月1日 京都国体マスコットの愛称が「未来くん」に決まった。京都府準備委員会の第9回総会で。
全国から3270点の応募があった。
11月2日 京都国体・スポーツ振興募金推進委員会の募金運動が1日にスタート。
第1号は、京都市左京区でアーチェリー店を経営する濱直樹さんが京都府国体準備局に届けた。

(左)1985年3月19日(右)1985年3月29日
(左)1985年3月19日(右)1985年3月29日

西暦(昭和) 新聞発行日
1985(60)年 3月16日 日本体育協会の国体委員会は、京都国体から導入される「成年2部」を18競技で実施することに決めた。
増える可能性もある、とした。
3月19日 デモンストレーション行事が、家庭婦人バレーボール、ゲートボール、綱引き、ジョギングの4競技に。
林田知事が、府議会予算特別委員会で明らかに。
3月29日 新しい歴史に向かって走ろう府民運動推進協議会の設立総会が開かれた。府内の各種437団体が参加。 
夏季国体の主会場、府立山城総合運動公園・太陽が丘のプール(50メートル、25メートル)が完成した。

(左)1985年7月4日(右)1985年7月28日
(左)1985年7月4日(右)1985年7月28日

西暦(昭和) 新聞発行日
1985(60)年 6月4日 日本体協、文部省(当時)の3日間にわたる総合視察が終了。ほぼ100点の講評。
7月4日 日本体協の理事会で、京都国体の63年開催を正式に決定。
席上、日本体協の福永健司会長が、京都府の林田悠紀夫知事に開催決定通知書を交付した。
7月28日 京都国体のメーン会場、西京極総合運動公園の陸上競技場兼球技場の竣工式が開かれた。
第1回国体の会場だった同競技場の改修が完成した。
10月9日 京都市が公募した国体コンパニオン5人が決まった。全国初の公募で、67人が応募していた。
11月6日 国体京都府準備委員会(会長・林田悠紀夫府知事)の第11回総会が開かれ、準備委員会を実行委員会に拡充・改組した。
役員はそのまま移行。