資料は旧国鉄の米原機関区に保存され、10年前のJR移行の際、町役場が譲り受けた。木箱入りで、内容不明のまま保存されていた。このほど町職員が開けたところ御召列車の資料とわかった。 「特別列車運転関係書類」と書かれたA4判ほどの表紙に、わら半紙多数が綴じられている。このうち大阪鉄道局が出した「天皇陛下御召列車運転警護その他の件」はB5判61ページ。「防空」「警護」など運行関係者の任務内容が記されている。 列車は主にC51型SLがけん引し、7両編成。御料車は前から5両目で、12月11日午前8時に東京駅を出発し、米原など東海道線を経て同日夕に京都駅に着いた。翌日は草津線、関西線などを経て午前10時に三重県の山田駅に到着。参拝の後、13日夕に東京駅に戻った。 戦時中とあって警護に重点が置かれ、「空襲警報が出ても緊急停車しない」などと定めている。規制は一般列車にも及び、複々線での御召列車との並行運転は厳禁。通過待ち合いの列車に対しては、理由を一切告げずに「指示があるまで窓の幕を閉める」と指示し、乗客に御召列車が見えないようにした。 御召列車に関する著作がある鉄道研究家・星山一男さんによると、戦時中、昭和天皇はほとんど首都圏を離れず、本格的な御召列車運行はこれが唯一。運行は事前発表されていたが、防空を考慮し、このときだけは事後発表で当時、列車が空襲される危険もあったが、昭和天皇は戦勝祈願のため、あえて行ったのだろう」としている。 |