大災害から命と地域をいかに守るかをテーマに、京都新聞社は22日、東北地方のブロック紙・河北新報社(仙台市)と共催し、京都市伏見区の向島ニュータウンで住民が東日本大震災の被災者らと討議する「京都むすび塾」を開く。東日本大震災を経験した生の声に学びつつ、要援護者への連絡や誘導の在り方、平時の地域のつながりを話し合う。
「むすび塾」は、河北新報が震災後、被災地からの防災発信を地元紙の責務ととらえて始めた。報道機関自らが地域に「狭く深く」働きかけ、より実践的な備えを考える巡回ワークショップ。地域に根ざす報道機関として思いを共有し、京都新聞と共催する。

悲劇 教訓 伝えたい

22日に京都むすび塾

災害時要援護者をテーマに、京都新聞社は22日、東北地方のブロック紙・河北新報社(仙台市)と共催し、京都市伏見区の向島ニュータウンで住民が東日本大震災の被災者らと討議する「京都むすび塾」と、言葉の壁がある帰国者、障害者らへの連絡・避難の課題を試行して探る「カケアガレ!日本」を京都文教大などと行う。京都を宮城県から訪れる震災語り部らに思いを聞いた。

失われた命 防災の礎に

津波で長男を亡くした語り部 丹野祐子さん

長男公太君を含む14人の名前が刻まれた閖上中の慰霊碑に手を当て、被災経験を語る丹野さん(宮城県名取市・旧閖上中)

長男公太君を含む14人の名前が刻まれた閖上中の慰霊碑に手を当て、被災経験を語る丹野さん(宮城県名取市・旧閖上中)

 生きる意味を見いだせなくなった。「何で私が生きているのだろう」。後を追って自殺を図ろうとした。夜の閖上(ゆりあげ)には死者の霊が出るとの噂を聞けば、がれきの町をさまよい歩いた。「でもこのままじゃ駄目だ」とも思っていた。

 あの日、中学校で卒業式があった。激しい揺れに襲われたのは、閖上中3年の長女の卒業謝恩会が開かれた公民館だった。

 「津波なんか来ないから大丈夫」。100人ほどの住民が避難した公民館のグラウンドで、長男公太君=当時(13)=に声を掛けた。「安心させたいというより、本当にそう思っていた」

 防災無線やサイレンは鳴らず、静かな時間が過ぎた。真っ黒な煙が見えた。煙は家々を巻き込んで押し寄せる津波第1波だった。

 「逃げろー」。悲鳴と怒号が飛び交う混乱のなか、そばにいた長女と公民館2階に駆け上がった。すぐ後ろで、渦巻く濁流が人々をのみ込む。公民館で助かった住民は40人。無事を信じていた公太君は2週間後、遺体で見つかった。

 ふさぎ込んだ気持ちは少しずつ、精神科医や同じ境遇の遺族との出会いで変わった。震災翌年、語り部に。「人は自然とともに生きていく。怖さだけでなく前向きに自然と付き合い、命を配信する場所にしたい」

 閖上地区はいま、土地のかさ上げ工事が進む。更地を1日平均千台の工事車両が行き交う。1月24日、岐阜県の消防職員15人を案内し、長男を含む14人の生徒の名前が刻まれた閖上中の慰霊碑に手を当てて語り掛けた。「いま震災が起きるかもしれないとみんなが思ってくれれば、次は防げると思う。私自身、震災を人ごとだと思っていたから」

 悲しい話でなくてもいい。ここであった出来事が「桃太郎」のようにずっと語り継がれてほしいという願いを込めて。(名取市・46歳)

言葉の壁 どう超える

比出身女性たちのまとめ役 佐々木アメリアさん

フィリピン出身の女性たちに日本語を教え、姉と慕われる佐々木さん(宮城県南三陸町)

フィリピン出身の女性たちに日本語を教え、姉と慕われる佐々木さん(宮城県南三陸町)

 ツナミという言葉に聞き覚えはある、でもどんなものかは分からない。大地震の日、運転する車のラジオから聞こえる「海から離れて下さい」の声に背中を押され、アクセルを踏み込んだ。高台の実家にたどり着くと「海から真っ黒な壁が押し寄せてきた。これがツナミかと思ったら、怖くて足が動かなくなった」

 フィリピン・マニラから38年前に嫁いだ。言語や文化の違いに悩んだ経験を踏まえ、東北に増える同朋のために妻の会で日本語を教えた。

 津波は、自らを姉と慕ってくれたフィリピン出身女性80人のうち、3人の「妹」の命を奪った。犠牲となった来日2年目の女性は日本語が不自由で、地域となじめなかった。「津波を知らせる防災無線を、あの子は分かっただろうか」

 生き残ったフィリピン出身の女性も家族や自宅を失いながら、食料を探し歩き、避難所で明るく振る舞った。住民や義父母からの感謝に「妻として認められた瞬間。みんなで喜んだ」

 震災後は、妻の会で防災研修会や茶話会、職を失った女性に向けて介護ヘルパー講座を企画。自身も家を流されたにも関わらず、「妹」たちに寄り添う。

 向島ニュータウンにも中国帰国者や留学生ら、日本語が母語でない住民が暮らす。「言葉の壁のせいで仲間を失いたくない。どうすれば地域と交流できるか、災害時にスムーズに逃げられるか、全国に広がりを持つテーマ。京都の皆さんと考えたい」と思いを寄せる。 (南三陸町・61歳)

停電、車いす搬送 最悪想定を

南浜中央病院(岩沼市)事務局長菅野洋一さん

南浜中央病院(岩沼市)事務局長 菅野洋一さん

 「とにかく上へ」。頭がいっぱいだった。ラジオが伝える大津波情報を聞き、1階の患者を2階に上げるよう職員に呼び掛けた。停電でエレベーターが使えない。寝たきりの高齢者や精神障害の患者約90人を手分けして上の階に移した。

 ベッドごと階段そばまで移動し、毛布を使って2、3人掛かりで上階へ運んだ。だが津波は1階天井まで達し、急いで患者を3階まで避難させた。

 入院患者と職員約300人は、孤立した。1階の発電機や非常食は水没。たん吸引器は使えず、職員が手作業で吸引にあたった。水が引いた後も患者の受け入れが可能な避難所はなく、約130人の入院患者が病院を離れたのは震災発生から4日後。幸い、命を落とす患者はいなかった。

 停電した場合の電源確保や車いすの人をどう運ぶか。「最悪の事態を想定すべき」という。「運ばれる人も、どの向きだったら安心できるのかなど、日ごろの訓練を通じて気づいてほしい」(仙台市・59歳)

要援護者支援に負担と危険

民生委員蟻坂隆さん(ビデオ出演)

民生委員 蟻坂隆さん

 町内全員が顔見知りになる-。要援護者を助ける既存のシステムに限界を感じ、近所同士が重層的に助け合う関係を目指して減災に取り組む。

 同市八幡町の町内会は、大津波により350世帯のうち8割以上が流され、38人が亡くなった。「さっきまで人がいた温かい場所が、うそみたいにめちゃくちゃだった」。自身も泥の中で義母の亡きがらを探した。

 市が町内会ごとにつくった「防災ネットワーク」は、要援護者1人に2人の担当を決めていた。町内会の要援護者17人のうち15人が助かり、近所付き合いを下地にした仕組みが生きた。

 一方、防災ネットの限界も感じた。高齢化による人材難や若年層が不在の日中に災害が発生した場合の対応、支援者の心理的負担と危険が浮き彫りとなった。

 「自分は大丈夫という甘い考えは捨て、みんなが避難の覚悟と準備を持つべき」。京都の人々に訴えたい。(石巻市・64歳)

【2015年2月4日付京都新聞朝刊掲載】

東日本大震災を忘れない~被災体験を聞く会

京都新聞社と河北新報社は「いのちと地域を守る」をテーマに東日本大震災の経験を共有するため、体験に学ぶ講演会を企画しました。
障害者や医療的ケアが必要な方の避難誘導、日本語に壁がある方への情報伝達など、京都でも大きな課題となっているテーマも語っていただきます。

終了いたしました。ありがとうございました。
   
丹野祐子 さん
閖上遺族会会長 中学生の長男を亡くした思いを語り継ぐ
安部弘章 さん
入院患者ら300人が3日間孤立した南浜中央病院事務部長
佐々木アメリア さん
国際結婚したフィリピン出身女性のまとめ役/南三陸町
日時 2月21日(土) 午後5時30分~午後7時
場所 京都新聞文化ホール
京都市中京区烏丸通夷川上ル(地下鉄丸太町駅すぐ)京都新聞社7階
主催 京都新聞社、河北新報社
後援 京都府、京都市
参加費 無料
お申し込み ファックス075-252-5454 または musubi@mb.kyoto-np.co.jp
「被災体験を聞く会」参加希望と明記の上、お名前と住所をお知らせください。
お問い合わせ 075-241-5438(京都新聞報道部)