Kyoto Shimbun 1997.1.24

<1> 教 訓


 「7年前」生きず 国の対応に怒り

 「日本海側の流出重油の防除態勢は手薄だ。7年前の丹後半島での流出事故の教訓が生かされんかった」

風雪としけのため、回収作業は中止となり、
ひしゃくにも雪が…(22日、京都府与謝
郡伊根町蒲入)
 23日午前11時半、首相官邸。島根県沖で沈没したロシア船籍タンカー「ナホトカ号」から流れ出た重油の早期回収や対策の要望書を、被害を受けた他県の漁業関係者とともに、与謝野官房副長官に渡した白須明京都府漁連会長。厳しい表情を崩さないまま、階段を足早に降りてきた。

 京都府北部の丹後半島は7年前の同じ1月にも、重油禍に見舞われた。伊根町カマヤ海岸の岩場にリベリア船籍の貨物船が座礁、沈没。伊根町を中心に宮津や舞鶴など2市4町と福井県に油が漂着した。「海岸はまっ黒で、あぜんとして町に連絡した。どうすることもできず、手で取るしかなかった」。前回最も被害の大きかった伊根町蒲入漁協の当時の組合長泉本明さん(63)は話す。

 蒲入漁協の泉一次さん(61)は「冬の日本海がしけるのは当たり前。船首が福井の三国沖に流れ着く前に沖合でくいとめることが出来たのでは。国の対応が甘かった」と、豊饒(ほうじょう)の海を汚された怒りを募らせた。

 ●日本海側、手薄な防除態勢

 太平洋側に比べて、日本海側の油回収能力は依然、劣る。島根から福井沖までを管轄する第八管区海上保安本部(京都府舞鶴市)の油処理能力は、第四管区(名古屋)の5分の1もない。外洋の大型油回収船は全国で「清龍丸」(3,526トン)1隻だけだが、現場到着はやっと9日早朝。4日午後11時、八管から出動要請を受け、配置されている名古屋港を出港して関門海峡を通過したが、大しけのため鳥取県の境港に避難、手間取った。

 「日本海側に、しけでも大丈夫な大型油回収船が必要だ。配備は、舞鶴でも新潟でもいいから…」と、網野町浜詰漁協の船田喜十郎組合長は切実に訴える。

 ●処理剤控え 手作業で回収

 前回の教訓を地元では生かせたのか。伊根町の三野義雄町長は「前は何をしていいか分からず、すぐに自衛隊に応援を頼むなど、混乱した。今回は対策本部の立ち上げもスムーズ。残念ながら一部の海岸で漂着したが、ある程度、地元で対応できたと思う」という。

 前回、町内の海岸に漂着した重油の回収作業に2カ月かかった。陸に到達すると回収が大変なことを身をもって知っており、今回は町内の 5漁協が沖合に漁船を繰り出し、必死に漁場を防衛した。

 また、丹後半島沿岸では処理剤の使用も控えている。前回、海岸付近に大量にまかれ、残留影響で蒲入漁協などでアワビやサザエ漁の再開が半年後になった。この苦い反省から、京都府水産事務所(宮津市)は管内の漁協に対し「時間はかかっても、できるだけ手作業で油を回収するよう指導している」(清野精次所長)。

 同事務所は7年前は油防除の装備品は全くなかったが、その後、オイルフェンスや吸着マット(7,100枚)などを備蓄、初動対応としては効果があった、とみている。

 丹後の海では延べ約1万9千人が、漂着した油塊1,500トンを回収(22日現在)した。教訓を生かし懸命に続く作業の前に、自然の猛威が立ちはだかる。丹後の海は23日も終日しけた。
                         (重油流出事故取材班)


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