Kyoto Shimbun 1997.1.25

<2> 後 手


 八管 "初動"に甘さ

 「海岸へ押し寄せる前に、沖合で処理してほしかった…」。ロシアのタンカー「ナホトカ」からの流出重油対策に追われる京都府与謝郡伊根町の三野幸生助役は、ため息交じりにつぶやいた。

重油流出事故の対応に追われる八管本部
オペレーション・ルーム(舞鶴市下福井)
 事故の起きた2日朝から4日にかけて、第八管区海上保安本部(京都府舞鶴市)は、乗組員救助と行方不明の船長の捜索に全力を集中した、という。漂流重油への処理剤散布は「海面が見づらくなって、行方不明者の捜索に支障がある」(児林秀雄・八管警備救難部長)として見合わせていた。

 ●船首の行方、判断ミス

 この間、2800キロリットルの重油を船倉に抱え、周辺に漂流油を従えた船首部は、北西の強風に押されて、日本海を南東に流されていた。丹後半島・経ケ岬北70キロに達した5日、八管本部では「風は収まる。船首部が陸地に近づくことはない」との見方が支配的だった。

 翌6日になると、船首はさらに南寄りのコースをたどりだし、福井県・安島岬の西35キロまで接近した。だが、このときになっても八管本部は「対馬海流が12月の観測時より10キロほど南を流れているための南下。あとは海流に乗って北向きに転じるだろう」と、楽観視していた。

 ところが、この日午後になって、20―30メートルの強風に押された船首は対馬海流を横断。ゆっくりと越前海岸に近づいていることがわかった。「福井県北部の海岸に打ち上げる恐れがある」。八管本部は、にわかに緊迫感を強めた。

 「接岸を食い止めねば…」。沖合で2隻の巡視船の間にオイルフェンスを張り、岸に近づく船首を阻止しようとしたものの、高波を受けたフェンスは切断した。そして7日午後、船首は福井県・三国町の沿岸に座礁。追い打ちをかけるように9日には、丹後半島や兵庫県、福井県沿岸にチョコレート色に濁った重油塊が押し寄せた。

 ●連絡システム、再検討が必要

 事故発生当時からの八管本部の対応について、讃岐田訓神戸大助教授(自然環境論)は「沿岸に近づく前に処理すべきだった。1974年の岡山県・水島コンビナート重油流出事故の教訓が生かされていない。強風で船首が海流を横切り、漂流油が岸に漂着することは、当然予測できた」とし、判断の甘さが後手に回った要因では、と指摘する。

 海上保安庁は昨年度、「山陰沿岸・若狭湾海域排出油防除計画」を策定した。福井港内でタンカー事故が発生し、原油1万8千キロリットルが流出した場合を想定。2日間で80%の流出油を回収できる、としている。だが、この計画は「風速5メートル」など、冬の日本海の厳しさとはかけ離れた「穏やかな」条件を設定。現実の事故の前に、みごとに裏切られた。

 事故の通報をめぐっても、八管本部と自治体の間で、ひともんちゃく起きた。八管本部は「発生当日の2日に京都府、福井県へ重油漂着の恐れを通報したが、担当者に通じなかった」としていた。ところが、府などが「その日には連絡を受けていない」と否定したためトーンダウン。双方の連絡が、いつの時点でついたのか、真相は薮(やぶ)の中。このトラブルを機に、海上保安庁は「連絡システムの再検討が必要」(梅田宣弘広報室長)と受け止める。


▲INDEX▲