Kyoto Shimbun 1997.1.27

<4> 苦 闘


 住民 疲労濃く

 25日朝、島根県・隠岐島沖の日本海に、音波探査機「ディープ・トウ」を収めた黄色い鋼鉄の檻(おり)が、海洋科学技術センターの調査母船のクレーンから、海中深く下ろされた。「沈没したナホトカの後部船体の状況を突きとめたい」。甲板の調査員らは祈るような思いで見送った。後部船体は、船倉に1万1千キロリットルの重油を抱えたまま、2千メートルの深海にある。この間にも海底の船体が水圧や錆(さび)で破損し、さらに重油が漏れ出す恐れが強まっている。

大しけのたびに油塊や油まみれの漂流物が
押し寄せる。油搬出も困難を極める(26日
午後、京都府竹野郡丹後町間人)
 「取っても取っても切りがない。沈んだままの重油を断ってもらわんことには、先が見えん」。京都府久美浜町・箱石地区、農業家城和行さん(48)の顔には、重油回収の疲労が色濃くにじむ。「まだまだ湧いてくるかと思うと、何ともやりきれない」。

 総戸数8戸の小集落の浜に重油が漂着したのは9日だった。以来、住民総出で重油と格闘する日々が続いた。回収にめどがついたと思った矢先の22日、チョコレート色の塊が、再び打ち寄せてきた。

 ●回収 見えぬ終着点

 丹後町・平地区でも、連日の回収作業で、住民の疲労はピーク。26日も、冷たい雨が降り、強風で舞った砂が顔を打つ中、住民60人とボランティア約20人が黙々と回収した。岡田十一区長(63)は「前日回収した場所に、翌日また、漂着する。体がもたない」。終着点の見えない油との闘いに諦め顔でつぶやいた。

 「流出した油は鳥取から石川県など、どこかの沿岸部に必ず漂着する。エンドレスの警戒が必要」と府立海洋センターの桑原昭彦海洋調査部長はいう。

 汚染被害を受けた京都北部の4町は高齢化が著しく、各町では「寒い折だけに、回収に当たるお年寄りが病気にでもなっては」と、ムリをしないように呼びかける。しかし、打ち寄せた油塊を放置しておくと浜に砂と油の層ができて回収に手間取るため、出来るだけ多くの手を借りたいのが実情。ただ油塊を運ぶ北風が吹かないように天を仰ぐだけ、という。

 ●長期計画で人員配置も

 海岸美で知られる丹後半島一帯は、有名な海水浴場が多い。夏になると油塊は溶け出す。安心できる夏にするためにもこまめに取る必要があり、人出はいくらあっても足りない。各町とも長期戦を覚悟して、作業日程や効率的な人員配置の検討を始めた。

 「長期的展望に立って効率的なボランティアの活用も考えなければ」。丹後町の対策本部総括、米田文夫総務課長は話す。網野町ではボランティアの窓口を強化。住民有志が25日から「ボランティアネット」を本格稼働、ホームページを開設した。その呼びかけで26日には京阪神などから約千人が、鳴き砂で知られる琴引浜などで作業についた。久美浜町でも、沿岸部以外の地区に協力を呼びかけている。

 網野町浅茂川の八丁浜で毎日、回収作業をしている、あみの共同作業所に通う地元の塩西直行さん(38)は「浜は子供のころからの僕の遊び場。海にはいろいろと表情があって、今日は怒っているんでしょうね」と、荒れた海を見つめた。

 深海に横たわるタンカーの後部船体からは今も重油が流れ出している。この船体を引き上げることは技術的に不可能、ともいわれる。浜に生きる人々の苦闘は続く。
                          (重油流出事故取材班)                                   おわり


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