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溝部脩氏 もう一度行きたい土地
溝部脩氏 みぞべ・おさむ 1935年生まれ。ローマ・グレゴリオ大史学部博士課程修了。64年カトリック司祭叙階。カトリック仙台、高松司教を歴任。現在はカトリック西陣教会在。

 明仁皇太子が美智子妃と結婚したその日、私はパレードを見て、その足でイタリアに旅立った。当時の私は貧しかったが、希望にあふれていた。しかし、いかんせん貧しいことには変わりがなかった。日本にいた宣教師が故郷の友人、知人を頼んで、私の学費を払ってくれる算段をしてくれ、そのおかげで学業を終えることができた。その恩人の中に、オーストリアの一寒村セーレという村の人たちがいた。彼らはお金を出し合って私の学費の一部を払ってくれていた。
 初めてその村を訪れたのはクリスマスの時期であった。彼らはオーストリアの国籍を持つが、実はスロベニアの人であった。歌が好きな民族で、家庭内でもピアノを弾き、ギターを爪弾き、毎晩歌って過ごすのが日課であった。私は教会の近くの一軒の家に寝起きしていたが、ミルカという金髪の少女は私のドイツ語の先生だった。
 その年、私たちは歌ってクリスマス・イブを過ごした。今思い出しても実に楽しいひと時であった。そして日がかわる30分前に、凍てつく夜道を教会に向かって、家族全員で歩いて行った。
 ところが、行きかう人々とも挨拶を交わすことなく、黙々と歩く村人の群れがあるだけであった。ミサが終わると村人全員が、教会の隣にある墓地に赴き、皆で祈りをとなえるのであった。それが終わって初めて“降誕祭おめでとう”の挨拶が口々に交わされた。
 どうして黙って教会まで歩いたのか、どうして墓地に皆が行ったのか、私はいぶかしく思い、その理由を尋ねた。その昔、この近くの山はドイツ軍に抵抗するパルチザン(ゲリラ)の拠点だったということである。クリスマス前に彼らパルチザンはドイツ兵に捕まり、この教会の広場で、家族が見ている前で銃殺刑で殺されたということであった。その出来事を忘れないために、教会までの道のりは黙って歩くことが、村人の申し合わせであったと聞かされた。
 そんな悲劇があったとは露知らず、浮かれていた自分を私は恥じた。戦争の無残さをいやというほど感じたクリスマスでもあった。
 懐かしいあの村人たちの多くはもはやこの世を去ったであろう。それでも感謝を表わすために、老いの身をさらしてもう一度セーレを訪れたいと願う昨今である。
(カトリック名誉司教)

[京都新聞 2012年12月23日掲載]