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溝部脩氏 「共同体」に燃えた青春
溝部脩氏 みぞべ・おさむ 1935年生まれ。ローマ・グレゴリオ大史学部博士課程修了。64年カトリック司祭叙階。仙台、高松司教を経て、「望洋庵」庵主。ノートルダム女学院理事。

 私は20代、10年間イタリアに住んだ。最初は言葉の壁に悩まされ、文化の違いに戸惑い、何度も学業を放棄しようという誘惑に駆られた。カトリックの聖職者志願であった私に一番大きな障害は、カトリック教会という大きな組織の壁であった。バチカンに代表される、ものものしい聖職者の群れ、大伽藍(がらん)とそこで展開される荘厳な儀式。これらは、聖書が語るイエス・キリストの姿と余りにもかけ離れているという怒りにも似た思いを私に燃えたぎらせた。
 ローマにあって悶々(もんもん)とした日々を送る中に、大学の仲間がパリに行くことを勧めた。パリ郊外のサンコロンブという貧困地帯に、労働司祭と言われる人たちが共同生活をしていた。当時アルジェリアからの難民があふれ、一夫多妻の彼らは古いバスを利用して生活していた。クリスチャン神父がそこの中心人物であり、若い司祭が3、4名一緒に働いていた。彼らはいずれも日雇いの仕事に出て、その日当を共同体に持ち寄って、それを分配することで生活していた。
 時代はヨーロッパ共同体という理想に燃えていて、ヨーロッパ各地から大学生がサンコロンブに集まっては、小さな共同体をつくった。国籍、宗教も異なっていたが、何かを真剣に求める男女の学生がパリに群がった。そこに私も身をおいた。労働司祭に倣って私たちは日雇いに出かけ、日当を共同体に渡した。食事を作り、ともに食べ、毎晩一日の振り返りを行った。
 クリスチャン神父は私に毎金曜日、パリ南駅に行かせた。私はイタリア語が話せたので、南イタリアから出てくる若者に声をかける仕事を任せた。彼らをつかまえては「仕事はあるか、宿はあるか」と聞き、度ごとにサンコロンブに連れていった。毎金曜日、2駅向こうにある風呂屋に通い、その晩はワインを皆で楽しんだ。ささやかな楽しみ。
 あれから50年、あの頃の若者を引き付けていたものは何なのかを考える。同時に、今も求めている青年たちに夢を与えることができないものかとも考える。喜寿を過ぎて、京都の一角に「望洋庵」なるものを構えた。邸内を流れる水の音は考えを集中させるに適しているし、小さなきれいな小聖堂は静けさを保っている。この一角に座って、一時活動をストップして黙考してみてはどうかと呼びかけるために、現代の若者のために庵を組んだ。
(カトリック名誉司教)

[京都新聞 2013年09月01日掲載]