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溝部脩氏 出会いは偶然か、必然か
溝部脩氏 みぞべ・おさむ 1935年生まれ。ローマ・グレゴリオ大史学部博士課程修了。64年カトリック司祭叙階。仙台、高松司教を経て、カトリック西陣教会内「望洋庵」庵主。ノートルダム女学院理事。

  昨年2月、夕食を終えた私に一本の電話が届きました。ローマのバチカン図書館からであり、電話のかけ主は館長その人でした。図書館改装の作業をしている間に、日本の古文書らしいものがたくさん見つかったという知らせでした。
 館長は大学時代、史学科で席を同じくした古い友人です。その彼が、日本の文書を読む人がいないので、一度ローマに来ないかと誘ってきたのです。どうせ現役を引退して、暇を持て余しているだろうとのおまけがつく誘いでもありました。
 どんな文書なのか見当がつかないので、私は写真にして2、3枚メールで送ってくれるように頼みました。すぐに送られてきたメールを見ると、間違いなく豊後地方(現・大分県)の「転(ころ)び文書」、即ち江戸時代のキリシタン弾圧・迫害によって改宗した信者らの証文類と分かりました。その数は1万点にも上ると館長は念を押していました。
 私はすぐに大分県立図書館に電話を入れて、大分県の古文書が見つかった次第を話し、ローマに一緒に行かないかと誘いました。最初彼らは躊躇(ちゅうちょ)していましたが、例のメールを見せると、すっかりその気になり、ローマへの旅を共にしました。
 実際、現地に着くと、段ボール箱が積まれてあり、500枚くらいを束ねて真空パックにして保存していました。3日間、幾通かを読みましたが、片手間ではとてもできる仕事ではありません。日本に持ち帰って調査することも許されず、といって1年か、2年をかけてローマで仕事をするのも困難ということで、事情を理解した上で、その後のことは帰国して考えるという結論に達しました。
 この文書の大切さは、ある限られた地方の書類が約200年にわたってたくさん残されていることです。ということは、それらを分析すると、同地方の全体の行政、または暮らしが見えてくることです。
 今回の体験で、私が実感したことは、思いもかけないことが、思いもよらない形で実現するということです。そして、その思いもよらないことが、人々の生活を知る立派な契機になるということです。
 「もし図書館館長と友人でなかったなら」「もし私が大分県人でなかったとしたら」といった仮定を許してもらえれば、偶然と思われたことは、その実起こって当然のことなのかもしれないとも思われるのです。人生の大半は偶然のようで、その実必然なのかもしれません。
(カトリック名誉司教)

[京都新聞 2013年12月20日掲載]