襲撃事件の約1カ月後、京都朝鮮第一初級学校の周囲で行われた在特会側のデモ行進。裁判所は一連の街宣を「人種差別に該当する」と断じた(2010年1月14日・京都市南区)

襲撃事件の約1カ月後、京都朝鮮第一初級学校の周囲で行われた在特会側のデモ行進。裁判所は一連の街宣を「人種差別に該当する」と断じた(2010年1月14日・京都市南区)

チマ・チョゴリの学生服を着て集会に出席した京都朝鮮第一初級学校の卒業生。10年前の襲撃事件を校内で経験した(9月27日、さいたま市・埼玉会館)

チマ・チョゴリの学生服を着て集会に出席した京都朝鮮第一初級学校の卒業生。10年前の襲撃事件を校内で経験した(9月27日、さいたま市・埼玉会館)

朝鮮学校襲撃事件などを巡る経過

朝鮮学校襲撃事件などを巡る経過

 2009年12月4日、校門の外で日章旗を掲げた男たちが暴れた。そばの公園から運び出した朝礼台を門扉に打ち当て、引き取りを迫る。「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」。拡声器から罵詈(ばり)雑言が響いた。事件の映像は、今も動画投稿サイトに残る。

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 強暴なヘイトスピーチの存在を世に知らしめた「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバーらによる朝鮮学校襲撃事件。通学していた在日コリアンの子どもたちは、心に深い傷を負った。事件は4日で発生から10年が経過した。それぞれの、尊厳を取り戻す道のりをたどった。

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 襲撃された京都朝鮮第一初級学校(京都市南区)には、事件を境に無言電話が続き、周囲でヘイトスピーチ(憎悪表現)を放つデモが相次いだ。児童にはさまざまな反応が出た。拡声器から響く古紙回収の知らせを怖がり、電車に独りで乗ることを嫌がった。夜泣きやおねしょが戻る子もいたという。当時、教務主任だった金志成(キム・チソン)さん(51)は「ヘイトスピーチの標的になっている緊張が常に続き、子どもへ伝わった」と、混乱の日々を振り返った。

 襲撃事件当時、京都朝鮮第一初級学校(日本の小学校と幼稚園に相当)には、在校生と交流会で訪れた京都府と滋賀県の朝鮮学校を合わせた約150人の児童がいた。

 5年生だった在日コリアン3世の女性(20)は講堂にいた。教員は罵声が子どもたちの耳に届かぬよう、交流会のクイズ大会を大きな声で盛り上げ、窓もカーテンで覆った。

 何が起きたのか、女性が知ったのは後日だった。自宅で母(51)と動画投稿サイトの映像を見た。「いいぞ、もっとやれ」「当たり前だ」。露骨な差別動画を支持するコメントが今も脳裏に残る。「日本の人は全員そう思っているんだと感じた」

 事件を受け、いつも母と一緒に行くスーパーで「オンマ」と呼ぶことを控えるようになった。朝鮮語で「お母さん」を意味する言葉。「自分たちの存在って、だめな存在なのかな」。芽生えた疑念は中級部(日本の中学校)に上がっても消えなかった。

 中級部、高級部へ進学する際、朝鮮学校を去る同級生もいた。女性は葛藤を抱え込んだ。「日本の学校に通いたい。日本人として生きて行くほうが、楽なんじゃないか」。高級部に行っても、動画は吐き気がして直視できなかった。

 心がほぐれる転機は、母が勤める南区東九条の介護施設に通い始めたこと。デイサービスを利用する在日コリアンの高齢者たちと出会った。過酷な肉体労働の日々や家族が自殺に追い込まれるほどの生活苦。差別と貧困をくぐり抜けた人生を、ためらいなく話す姿に敬意を感じた。一緒に折り紙やゲームをして笑い合い、「堂々と生きなさい」と励まされる中で、わだかまりは消えていった。朝鮮大学校(東京都)に進学し、実家を離れた後も、帰省すると施設を訪ねた。

 今年9月、さいたま市の埼玉会館。女性は、事件を題材にした集会に報告者として招かれた。

 「起きてはいけないことだった。悔しい」。女性は両手でマイクを握りしめ、将来の目標を語った。「自らの民族に誇りを持って学べる社会になるように頑張る。在日朝鮮人という生き方から離れていった人を、また戻したい」。聴衆を前に、事件について独りで話すのは初めてだった。

■事件テーマにした舞踊演じ「堂々としないと、自分たちが負ける」 

 2年生だった卞悠奈(ピョン・ユナ)さん(18)は事件当時、2階の教室にいた。「なんか来た」と、外にいた同級生が驚いて帰ってきた。叫び声は耳に入ったが、状況をよく理解できなかった。

 4年生から通学で乗り始めた路線バスの車中では、周囲を恐れてハングルで記された教科書を隠し続けた。京都朝鮮中高級学校(左京区)で舞踊部に入り、4年前に部員12人で事件を題材にした演目に取り組んだ。事件と正面から向き合うのは初めてだった。

 あの日の怒号を音楽に組み込み、事件から立ち上がる子どもたちを表現した。卞さんの役は、襲撃を受けた小学生を守る中学生。練習を重ね、民族教育の場を守ろうとした大人の気持ちを追体験し、自らのアイデンティティーに自信が持てた。同胞だけでなく、事件を「同じ日本人として恥ずかしい」と語る人たちにも出会い、「全員が敵だ」と感じていた日本社会への恐怖は薄らいだ。

 「事件は、自分の中で消してはいけない出来事なんです」

 今、高級部3年。朝鮮学校が高校無償化から除外される現状に反対を訴え、街頭に立つ。「嫌なら朝鮮に帰ったらいい」。「なんでここにいるねん」。通行人が吐き捨てる言葉に、むなしさを覚えることもある。

 「正直、差別する人がいることが自分の中で当たり前になっている。でも、堂々と生きていかないと、自分たちが負けてしまう」

 京都朝鮮第一初級学校は12年4月に統合して閉校し、跡地には今、ホテルが立っている。

〈連載「ヘイト追跡 朝鮮学校襲撃事件10年」 全4回の1〉

※おことわり 連載記事には、在日コリアンを対象にした民族差別に該当する文言が複数登場します。京都新聞社は、差別の実態を共有するため文言をそのまま報道します。あらゆる憎悪犯罪や憎悪表現を許さない社会をつくる一助とする目的です。