1985年に設置された坂路コース。現在最も利用頭数が多い(滋賀県栗東市御園・栗東トレーニングセンター)

1985年に設置された坂路コース。現在最も利用頭数が多い(滋賀県栗東市御園・栗東トレーニングセンター)

平地、障害の六つのコースと坂路コースを備える栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市御園・栗東トレーニングセンター)

平地、障害の六つのコースと坂路コースを備える栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市御園・栗東トレーニングセンター)

 日本中央競馬会(JRA)初の競走馬調教施設として1969年に開設された栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市御園)が50周年を迎えた。国内外で活躍する名馬を輩出してきた調教と装蹄(そうてい)の半世紀を振り返り、強い馬づくりに挑み続ける栗東トレセンの未来を展望する。

■変革もたらす
 「これがないと馬を仕上げきれない。平坦(へいたん)なコースでの調教が主流だった頃とは大きく変わった」。優秀調教師賞を10度獲得した山内研二調教師(70)は坂路調教馬場(通称・坂路コース)の存在を強調する。
 坂路コースは全長1・85キロ、高低差32メートル。関東の主要競馬場「東京」と「中山」にある急坂での失速対策と馬の故障防止のため、1985年に当初394メートルで整備された。
 坂路で鍛えた馬がGⅠ・重賞レースで好成績を挙げると、調教に取り入れるケースが増加。「坂路の申し子」と称されたミホノブルボンは、血統の良い馬ではなかったが、徹底して坂路で鍛錬され、92年の日本ダービーと皐月賞で二冠を達成。戦前から続く調教法に変革をもたらした。
 山内さんは「素質が良い馬は初めからある程度走ってくれる。平凡な馬をいかに勝たせるかが調教師の腕の見せどころ」と話す。

■縁の下の力持ち
 栗東トレセンには調教師や騎手のほか、調教助手、馬の飼育管理をする厩(きゅう)務員、馬専門の獣医師らが所属し、競走馬を支えている。その中で、馬の「靴」を扱うのが装蹄師だ。
 装蹄師は馬の蹄(ひづめ)を保護する蹄鉄を打ち、蹄を切る削蹄を担う。栗東ではJRAの職員装蹄師7人、独立して作業場を構える開業装蹄師26人、従業員の装蹄師約30人が働き、多い人は約200頭の馬を担当している。
 「ものを言わない馬が相手だから大変な仕事なんだ」。ベテランの開業装蹄師山腰正志さん(62)は話す。蹄鉄を打ち付ける時に馬に蹴られたり、かまれたりして負傷するのは日常茶飯。山腰さんもカマで左脚を切り4針縫ったことがある。
 装蹄の仕事を一変させたのが兼用蹄鉄の登場。それまでレース用(勝負鉄)と調教用の蹄鉄は別で、装蹄師はレースの度に打ち替えていた。81年にアルミニウム合金製の兼用蹄鉄が開発されると、その手間がなくなった。
 勝負鉄作りは夜通しかかったが、兼用蹄鉄は既製品を加工するため作業時間は短縮。それでも「数ミリの差がレースを左右する」とも言われるだけに、装蹄師たちは日々、馬の脚元に心血を注ぐ。

■強い関西馬
 栗東で鍛えられた関西馬は数々のGⅠ・重賞を制し、美浦(みほ)トレセン(茨城県美浦村)の関東馬に勝利数で差を付ける。88年には関西馬の年間勝ち鞍数が関東馬を初めて超えた。「西高東低」と呼ばれ始めた90年代、栗東の厩舎に期待馬を預ける馬主が増え、素質がある馬が集まってきた。
 92年のジャパンカップで日本馬初の国際GⅠ制覇を成し遂げたトウカイテイオー、牡馬クラシック三冠馬ナリタブライアン、第2次競馬ブームの立役者オグリキャップ、無敗の三冠馬ディープインパクト、仏凱旋(がいせん)門賞に2度挑んだ三冠馬オルフェーヴルと枚挙にいとまがない。
 昨年の関東馬の年間勝ち鞍数1428勝に対し関西馬は2029勝。30年続く関西馬優勢の理由は一概に言えないが、栗東トレセンの河原太一場長(60)は「坂路調教をいち早く確立した関係者の努力があった結果」と強調する。
 60周年に向け「トレセンの設備は10年後、20年後を見据えて常に改良を続ける。良い人材が良い馬を育てるので人の育成も大切で、50年は結果でなく将来へのスタート。『馬のまち栗東』の一員として地域にも貢献していきたい」と話す。

≪日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニング・センター≫
 1961年に示された調教施設建設構想を受け、京都・阪神・中京の3競馬場から1~2時間の立地▽馬の飼養に適した自然環境―などの条件を備えた栗東町(当時)が誘致し、69年11月に開場。甲子園球場約40個分に当たる約150ヘクタールの敷地に約2千頭の競走馬が暮らし、約1500人が働く。