A級戦犯の絞首刑執行に立ち会った唯一の日本人として知られる故花山信勝氏(青木さん提供)

A級戦犯の絞首刑執行に立ち会った唯一の日本人として知られる故花山信勝氏(青木さん提供)

巣鴨プリズンの刑場跡地に立つ石碑。「永久平和を願って」と刻まれている(東京都豊島区)

巣鴨プリズンの刑場跡地に立つ石碑。「永久平和を願って」と刻まれている(東京都豊島区)

A級戦犯7人の刑執行後に行われた花山氏の会見を伝える1948年12月24日付の京都新聞

A級戦犯7人の刑執行後に行われた花山氏の会見を伝える1948年12月24日付の京都新聞

 同時期、米国では弁護団が連邦最高裁判所に東京裁判は違憲であるとの訴えを提出していた。しかし48年12月20日に却下された。これを受け同月21日午後9時過ぎから「23日午前0時過ぎから刑を執行する」との宣告が行われた。

 「A級戦犯者の遺言」では花山氏が宣告時の様子を記録したメモの写真が添付されている。宣告は体重計の置かれた一室で、巣鴨プリズンのハンドワーク所長ら10人以上の米軍将兵と花山氏が立ち会ったことが手書きの図から読み取れる。

 東条は左手に念珠をして臨んだ。さらに宣告を聞いた東条は「刑死前2、3時間ほど花山さんにお話を願いたい」と述べたという。その後花山氏は、A級戦犯7人と十数分から1時間程度の面談を繰り返した。

 22日深夜。手錠を掛けられた7人は土肥原賢二、松井石根、東条英機、武藤章の1組目と、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎の2組目に分かれて順に絶筆の署名を行った。さらに南無阿弥陀仏と唱え、万歳三唱を行い、それぞれ刑場に向かった。

 2組目に加わった広田が万歳をしなかったと、作家の故城山三郎氏が小説「落日燃ゆ」で記述したことについて花山氏は講演で「広田さんも一緒に天皇陛下万歳と大日本帝国万歳を三唱された。作者の誤解にすぎない」と明確に否定している。1組目の刑執行は23日午前0時1分、2組目は同20分だった。

 花山氏は講演終盤に東条の辞世の歌として「さらばなり 有為の奥山 今日超えて 弥(み)陀(だ)の御(み)許(もと)に 行くぞうれしき」を挙げ「お念仏によって救われて、西方のお浄土へ往生された」としている。

 講演は1985年ごろに広島県呉市で行われた。講演録の著者で同朋大の青木馨非常勤講師(65)が自身の寺に伝わる録音テープを文字起こしして解説を加えた。

 著者の青木さんは「今回改めて花山さんの観察力、記録の正確性に驚かされた。講演やメモからは戦争責任者の声を残さなければならないという責任感と使命感がひしひしと伝わってくる。花山信勝という人が忘れられていく時代に、もう一度花山さんが伝えたかったことを今の社会に発信できればと思い出版した」と語る。

 「A級戦犯者の遺言」は四六判、136ページ。法蔵館。2200円。花山氏の講演のCDも付いている。