あぁ大掃除しなければと思いつつ、ずるずると日延べしている、わが年の瀬だ。ところが、作家の故幸田文さんは<そんなふうになおざりにしがちなのに、煤(すす)はきと聞くとなにか快く思うのは、なぜだろうか>と書いている(幸田文しつけ帖)▼煤はきには妙な活気と明るさがある、という。少女の頃に父の露伴から雑巾がけやら、ちり払いやらの稽古をつけてもらっている。煤はきは古い言葉だが、大掃除と言ったのでは表しきれない意味があることに気づいたそうだ▼一年中隠し、ごまかそうとしてきた汚れを大っぴらにさらす。そして、すがすがしく清め、掃除する。<これが活気のもとかもしれない>▼ということなら、政界の煤はきは済んでいない。首相主催の「桜を見る会」招待客リストの廃棄や元大臣2人の選挙違反疑惑が、灰色のまま打ち捨てられている▼昨年の森友・加計問題も消えておらず、疑惑の煤は積もり積もっている。掃き出すためには隠蔽(いんぺい)を解き、事実を大っぴらにさらすことだ。世の人の心も少しは晴れて、明るくなろうというものだ▼<煤掃(すすはき)や秘文書既に秘ならざる>。最近の句のようだが、戦後の幣原喜重郎内閣で内務相を務めた政治家、三土(みつち)忠造が「智山」の号で詠んでいる。一昔前の人たちは煤はきの奥義をよくご存じだ。