往来安全碑(宇治田原町郷之口)

往来安全碑(宇治田原町郷之口)

煎茶元祖地の碑を眺める茨木さん(左)と長野さん=宇治田原町湯屋谷・永谷宗円生家前

煎茶元祖地の碑を眺める茨木さん(左)と長野さん=宇治田原町湯屋谷・永谷宗円生家前

 京都府宇治田原町にある石碑について、宇治田原の歴史を語る会会長の茨木輝樹さん(76)が調べ、まとめる準備を進めている。町内で保管されていた古文書などから全15基の詳細が分かった。茨木さんは「町内全ての石碑のいわれが分かった。石碑から、昔の宇治田原に思いをはせてほしい」と話す。

 町内の石碑15基のうち同町郷之口の府道宇治木屋線に置かれた「往来安全」と同町湯屋谷の「煎茶元祖地」の碑は詳細が分かっていなかった。
 茨木さんはことし、町内の旧家の倉庫から1895年に往来安全碑の除幕式で使われた古文書を発見。江戸時代に宇治と宇治田原をつなぐ道を開いた町内の豪農「今西又衛門」の遺徳をしのぶため、子孫たちが碑を建立したことが分かった。
 煎茶元祖地の碑も町内の資料から、1935年ごろ、湯屋谷区と茶業者が建てたものと判明。京都市伏見区の石熊石材店が二つの碑を手掛けたことも分かった。
 12月、同町を訪れた石熊石材店5代目の長野加代さん(48)は「宇治田原と関わりがあるとは聞いていたが、作品があるとは知らなかった。浮かし彫りなど、すごい技術だと思う」と石碑を丹念に見てまわった。
 町内の石碑について、茨木さんは近く冊子にまとめる予定。全ての石碑の詳細が分かったことで「宇治田原の歴史に新たな一ページが追加された」と話している。