ナショナルトレーニングセンターで練習する岡崎愛子選手。右利きだがまひが強いので左利き用の弓を使う(昨年11月、東京都北区)

ナショナルトレーニングセンターで練習する岡崎愛子選手。右利きだがまひが強いので左利き用の弓を使う(昨年11月、東京都北区)

 バリアフリーに配慮されたナショナルトレーニングセンターイースト(東京都北区)で、的に刺さる矢の音が響いた。アーチェリーを本格的に始めて3年で、東京パラリンピック代表に内定した岡崎愛子(33)。50メートル先の的を目がけて弓を引き、あごを使う特別な仕掛けを使って矢を放つ。「的に当たる時のストーンという音が気持ちいいんです」と笑顔を見せた。
 事故で頸椎(けいつい)を損傷し首から下がまひしており、車いすを使用する最も重い障害のクラスでプレーする。腹筋と背筋を使えないため、ベルトで体を車いすに固定し、矢のセットや回収は介助者に手伝ってもらう。

■世界選手権で3位に

 2019年6月、世界選手権に初出場した。男女混合の1回戦で強豪のイタリアを1点差で破り、3位決定戦は延長でチェコに勝った。同志社女子中・高、同志社大出身と京都にゆかりがあったため取材を申し込んだ。「アーチェリーの取材だったら受けます。事故の取材は断っています」
 待ち合わせたのは、品川駅近くのカフェ。「大会の結果を持ってきてくれた記者さんは初めてです」。東京パラ代表に内定した後、アーチェリーの競技人口を増やしたいと多くの取材を受けたという。だがほとんどが尼崎JR脱線事故に焦点を当てる内容だった。「世界選手権の3位より事故の方が大事なのかなと思いますよね」
 あの時のことは、今も覚えている。同志社大2年だった05年4月25日、大阪府池田市の自宅から京田辺キャンパスに向かった。午前の授業を唯一取っていた月曜日。JR福知山線に乗り換え、先頭車両に乗った。塚口駅を通過した後の9時18分、電車が脱線。計107人が亡くなった。岡崎は377日入院した。
 アーチェリーを始めたのは「何かスポーツをやりたいという単純な気持ち」という。「過去は変えられないから私は目の前のことを一生懸命やって生きてきた。事故を乗り越えたつもりはない。誰でも目の前のことを精いっぱいやって生きているじゃないですか」。口調から、社会に今も残る“障害を乗り越えたアスリート像”を期待されることへの違和感を抱いていることが読み取れた。

■障害者への対応に変化

 パラリンピックは1960年、傷痍(しょうい)軍人のリハビリの大会(48年)を前身に始まった。64年の東京大会は9競技だったが、2020年には22競技を実施。義足のスプリンター、全盲マラソンランナー、車いすラグビー選手、知的障害者のスイマーら、さまざまなアスリートが限界に挑む。先天性、病気、事故、戦争…。障害の背景もさまざまだ。
 11月中旬、アイドルグループSMAPの元メンバーも出演して東京都内で行われた「パラフェス」。6400人の前でアーチェリーを実演した岡崎は「今の盛り上がりは少し異常だと思う」と振り返りつつ、東京では障害者への対応が優しくなってきたと感じている。「もっとレベルを上げて、アーチェリーの面白さを伝えたい。スポーツの魅力に障害のある、なしは関係ない」=敬称略

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