銅板に彫られた「丸太町高倉東江入 錺師 躰阿弥吉兵衛」の銘(北野天満宮提供)

銅板に彫られた「丸太町高倉東江入 錺師 躰阿弥吉兵衛」の銘(北野天満宮提供)

破風に取り付けられた六角形の金具。躰阿弥の銘は金具の裏面で見つかった(京都市上京区・北野天満宮)

破風に取り付けられた六角形の金具。躰阿弥の銘は金具の裏面で見つかった(京都市上京区・北野天満宮)

 北野天満宮(京都市上京区)の本殿(国宝)に続く西回廊(重要文化財)で、安土桃山から江戸時代にかけて京都で活躍した錺師(かざりし)「躰阿弥(たいあみ)」の銘が入った金具が見つかった。織田信長や豊臣家にも仕えた錺師で、豊臣家と天満宮の深い縁があらためて浮き彫りになった。


 東西の回廊を含む本殿は、豊臣秀頼が1607年に建立。2018年の台風21号で東西回廊の檜皮(ひわだ)葺き屋根が大きな被害を受けたため、昨年に東回廊を修復したのに続き、19年6月ごろから西回廊で作業が行われていた。
 修復に際して屋根の金具を初めて詳しく調べたところ、屋根の破風(はふ)に取り付けられた金具の裏面に「丸太町高倉東江入 錺師 躰阿弥吉兵衛」と銘が入っているのが見つかった。錺師は、金属を加工して装飾金具をつくる職人で、躰阿弥は当時の京都で筆頭の錺師として活躍した人物。織田信長が築いた安土城天主の一部を手掛けた者として、「信長公記」に名が記されている。
 技法についても、銅板に水銀を塗ったところに金箔(きんぱく)を何枚も置いてから彫るという古い技法が使われていることが分かったといい、今回も当時の技法に近い方法で修復した。
 現在は再び屋根に取り付けられており、同神宮では「秀頼公が造営した回廊で躰阿弥の名が見つかった。天満宮への深い思いがあらめて感じられる」としている。