昭和の東京五輪(1964年)は高度成長期を象徴する国家的なイベントだった。東海道新幹線が開業し、各地に高速道路ができた。

 ただ、冷静な人もいたようだ。

 「公共投資を遠慮せずにやれるムードの旗印としてオリンピックを取り上げたのは、わが国の保守政治家の鋭いカンによるもの」

 京都市出身の政治学者・京極純一氏らは五輪の半年前、雑誌上で皮肉まじりに指摘していた。

 半世紀を経た今回の五輪も、公共投資と経済の成長・拡大が底流にあるのは変わらない。被災地復興を掲げながら、東京の開発ばかりが進んでいるとの批判もある。

 かつてのような経済成長の再来を夢見られる時代ではない。五輪関連施設への膨大な投資が「負の遺産」になる懸念すらある。

 一方で、日本の将来に対する国民の不安感は根強い。昨夏の「老後2千万円問題」は、直面している高齢社会への処方箋が描けていない現実を浮き彫りにした。

 人口「下げ止まり」も

 心配の根本にあるのは、日本社会の持続可能性ではないか。とりわけ人口減少問題は、社会保障や地域の将来をゆさぶっている。

 人が減るということの意味を、どう受けとめたらよいのだろう。私たちは、いちど立ち止まって考えてみる必要がありそうだ。

 昨年の出生数が86万4千人で過去最少を更新したとのニュースは、日本社会の「縮小」が加速している現状を改めて示した。

 総人口は2065年に現在の7割、約8800万人になるとの予測もある。その時の65歳以上の高齢者は人口の4割に近づく。

 前例のない社会構造となる。

 こうした見通しの下では、未来に明るい展望を抱くのは難しいかもしれない。ただ、明治時代から現在までの短期間に人口が激増したことが歴史の中では特異な現象だったと知れば、見方は変わる。

 日本の人口は江戸時代後半の約150年もの間、3千万人前後を保った。今後減少が続くが、出生率が上向けばある時点で下げ止まり、江戸期のように一定水準で安定する「定常状態」となりうる。

 日本ばかりではない。韓国をはじめ東アジアの出生率は日本より低く、一人っ子政策をとった中国も人口のピークが近い。増え続ける世界人口も今世紀後半には増加率が緩やかになるという。

 長期的には地球規模で人口が定常化する時代が来ることになる。

 そうした変化は、私たちの未来に何をもたらすのか。

 京都大教授の広井良典さんは、世界人口が定常化に移る過渡期には、人間の精神に革新的な変化が生じる-と近著で指摘している。

 歴史をひもとくと、農耕によって急増した人口が都市をつくり、やがて定常化した時代があった。その過程で約2500年前、ギリシャ哲学や仏教、儒教などの思想が各地で同時多発的に花開いた。

 農業文明が資源や環境の限界に達し、「物質的生産の量的拡大」から、資源浪費や自然搾取を伴わない精神的・文化的価値の創造への移行が生じたのではないか(「人口減少社会のデザイン」)。

 成長路線の限界悟る

 そう考えると現在、モノの所有に執着せず、地球温暖化へ危機感を抱く若者が世界中で増える傾向にあるのは、工業化による成長・拡大路線の行き詰まりを直感的に理解しているから、とも思える。

 私たちは今、そうした新しい視点に立って、社会の仕組みを考えていかねばならないようだ。

 手がかりになりそうなのが、日本の若者のローカル志向の高まりだ。東京圏への人口移動が止まらない中、地方移住が増えている。

 その条件として、自然環境よりも就労を優先する人が多いとのデータもある。現実的な移住を考えていることをうかがわせる。

 自然の恵みや住民とのつながりを生かして起業する「ローカルベンチャー」が次々と誕生し、地方に拠点を移す企業も出てきた。

 明治以降の成長・拡大政策の中で地方の山や里は見捨てられ、人口の流出を招いた。だが江戸期には、各地域が生み出す木材や加工品、食料などで3千万人の人口を養っていた。地方の山や里はそれだけの潜在力を秘めている。

 地方に「安心の基盤」

 戦後の日本は公共事業で雇用を増やして国民生活を底上げし、社会保障などのサービスを受けられるだけの稼ぎを保障した。だが、失業者や非正規雇用が拡大して稼げない人が増えれば、サービスからこぼれ落ちる人も出てくる。

 そうした構造を指摘するエコノミスト井上岳一さんは著書「日本列島回復論」で、地方には人のつながりや豊かな山水の恵み、それを生かす手業・知恵が受け継がれており、普通の人が安心して暮らせる基盤があると強調する。

 存亡の瀬戸際にある地域も少なくないが、地方には次の社会をつくる鍵があるということだろう。

 冒頭の雑誌で京極氏らは、五輪が華やかな気配を見せるほど「終わった後の心配が出てくる」とも述べた。昭和の成長・拡大路線は新たな目標を次々に必要とした。令和の五輪後は、そういくまい。