京都を象徴する文化財の一つに、東寺五重塔をあげることができるでしょう。東海道新幹線の車窓からも望めるその姿は、京都のランドマークとして広く知られています。現在の建物は寛永21(1644)年に完成したもので、その高さ(基壇上から54・8メートル)は現存する五重塔では国内最高を誇り、国宝に指定されています。

 京都のシンボルである東寺五重塔ですが、昨年夏、この塔は修理のために周囲に足場が設置され、その姿が隠されていました。今回は、その修理内容についてご紹介しましょう。

東寺五重塔修理完了の姿

 2018年9月に日本に上陸した台風21号は、近畿地方を中心に甚大な被害を及ぼしました。京都の文化財も多数の被害を受け、東寺五重塔もその例外ではありませんでした。屋根瓦の一部が強風により飛散・落下し、そのいくつかは屋根面に転がり、いつ瓦が落ちてもおかしくない、極めて危険な状態に陥ったのです。また、台風以前から各層屋根の四隅に吊(つ)られる風鐸(ふうたく)に破損が見られたことから、塔の外周に足場を建て、これらの修理を行うことになりました。

足場設置中

 工事の設計監理は京都府教育委員会があたり、19年6月中旬に足場の建設に着手、7月中旬に足場が完成すると、すぐに瓦・風鐸の補修に取りかかりました。

 屋根面に転がった瓦を撤去した後、瓦が飛散・落下した部分は同寸法の瓦を補足。そのほかの瓦もすべて点検したところ、劣化が進行している瓦が散見されたため、これらを交換し、瓦自体は健全でも固定に不安があるものは固定し直しました。

屋根瓦の飛散状況

 風鐸は点検の結果、20個中14個に破損による落下の恐れがあり、これらは新たに作り直すこととしました。風鐸は青銅製の鋳物です。健全なものをサンプルとして砂型を作り、これに溶かした青銅を流し込み製作しました。

 健全であった残る6個の風鐸は、さび落とし・塗装の上、再利用し、風鐸に取り付く「舌(ぜつ)」も、20個中19個を同様に再利用しました。

風鐸に刻まれた「明治十八年十一月新調」の文字

 風鐸にはそれぞれ、明治16年、同18年、同41年、昭和35年の年号が確認できます。風雨に打たれる過酷な環境にあるため劣化しやすく、その時々に製作・取り換えされたのでしょう。なお、今回取り替えた風鐸と舌は、塔の内部に保管しました。

今回、新たに製作した風鐸と舌

 瓦と風鐸の補修は7月末に完了。8月初旬から足場の解体を進め、お盆前には足場の解体がすべて完了し、塔は再びその姿を現しました。

 塔が足場に隠されていた期間は2カ月。各業種の職方の協力により、施工は安全に配慮されながらも段取りよく進められ、足場設置期間は最小限にとどめることができました。

 さて、東寺五重塔の修理は、今回が初めてではありません。寛永21年の建立以降、記録にあるだけでも近世期に4回、近代以降も、今回のほか風鐸の年号に見るように幾度も修理が行われています。そのたびに塔の外周には今回同様、足場が設けられたことでしょう。

 この塔は、不変的に京都のシンボルであり続けたわけではなく、定期的にその姿が隠され、適切な修理が施されることによってその威容を今に誇っているのです。

 今日私たちが目にすることのできる文化財の多くは、凍結的に保存されてきたものでも、あたりまえに残されてきたものでもありません。時々の人たちの後世に伝えようという強い思いによって、守り伝えられてきました。東寺五重塔は、そんなことも象徴的に私たちに伝えているようです。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 村田典彦)