「フェイクニュースや政治の言葉など、何事もうのみにできない今の時代、自分の身を守るすべとして勉強が必要だ」と語る千葉雅也さん(京都市下京区)

「フェイクニュースや政治の言葉など、何事もうのみにできない今の時代、自分の身を守るすべとして勉強が必要だ」と語る千葉雅也さん(京都市下京区)

勉強とは、新しい知識やスキルを身につける行為ではなく、自己破壊の行為である。冒頭から常識の変更を宣言し、勉強の本質に迫っていく千葉雅也さん(立命館大准教授)の新著「勉強の哲学」が売れている。専門的な知見から考察を深める哲学書でありながら、具体的な勉強法を指南するハウツー本としても読める。異色の著作に込めた思いを千葉さんに聞いた。

勉強は自己破壊の行為。その心は、会社や家族、地元といった環境における「こうするもんだ」という「コード(お約束)」と距離を置き、それまでの「環境のノリ」から「別のノリ」へ引っ越すことだ、という。つまり「勉強とは、かつてのノッていた自分をわざと破壊する」「わざと『ノリが悪い』人になること」

千葉さんは「今の時代、人々は、国家的なプロジェクトや資本の利害といった社会の大きなたくらみに何となくのうちに巻き込まれ、ノセられている。そうした世の中の歯車から脱し、いかにして自分の人生を取り戻すか、そのスキルを伝えたかった」と語る。

では、「こうするもんだ」という「環境のコード」から脱するにはどうしたらよいのか。著者はまず「ツッコミとボケが『コードの転覆』をする対極的な方法である」との考えを示す。ツッコミとはアイロニー(皮肉)の言い換えで、コードを疑って批判すること。芸能人の不倫報道について「イメージ台無し」「子供もいるのに」と非難する方向で盛り上がっているさなか、「そもそも不倫って悪いの?」と疑問を投げかけるような行為。

対するボケは、ユーモア(しゃれ)のことで、「見方を変える」「コードを拡張する」機能がある。人間の恋愛が話題になっているのに「サル学で言うとね。ゴリラは…」と解説を始めてしまう。議論の前提を突き崩すアイロニーに対し、ユーモアは議論の「足場」を増やす方向に働くというわけだ。

ところが、勉強の基本であるアイロニー的な「追究」もユーモア的な「連想」もやり始めるときりがない。ともすると「深追いのしすぎ」「目移り」に陥ってしまう。そこで「勉強の有限化が重要だ」と説く。それも「エイヤッ」と決めてしまう「決断主義」ではなく、追究や連想をいったん「中断」して「仮の足場」から物事を考えるべきだ、と。

実践編として示されるノート術や入門書の活用法などのノウハウも、すべて「勉強の有限化」の手段だという。情報のあふれる現代。「限度がなくなると人は思考停止に陥り、独善的に何かに決めちゃったりする」と千葉さんは指摘する。「不安を前に、安易に悪や敵を決めつけるのではなく、粘り強く情報を比較して考え続ける。ごく当たり前のことだけれど、大変。まさに『強いて勉(つと)める』勉強が大切なのです」

ノリが悪く、浮いた存在。それは若き日の千葉さんの経験でもある。「でも、研究者仲間ってみんな、そうした環境適応的な生き方からズレている人ばかり。ものを考えるとそうなってしまう。だから、そこから逆算し、意識的に浮いた存在になることを勉強の方法論に結び付けた」

「もっと浮いていいんですよ」。同調圧力の強い時代にあって、生きづらさを感じている人たちへのエールとしても読める。
「勉強の哲学」は文芸春秋、1512円。