さだよし・やすし 1964年生まれ。インドネシア政治社会史。京都大で松尾尊兊(たかよし)氏に師事。商社勤務などを経て現職。著書「華人のインドネシア現代史」で大平正芳記念賞。

 あの早朝、私は京都にいて起きていた。当時、大学院生だった私は、京都新聞の配達で生計を立てていた。朝刊を配り終え、下宿に戻ったところであの激震だ。京都は震度5だったが、経験のない揺れで身体がこわばった。最初の揺れが収まったところですぐラジオのスイッチをひねり、ニュース速報に耳を傾けた。震源が淡路で被災の中心が神戸だということがわかるまでかなり時間がかかった。

 大変な被害が出ているとの報道が次々に入ってきたが、3日後に修士論文の提出期限が迫っていた私は、神戸の方角に手を合わせながら、余震の続く中、論文の仕上げをした。提出後、神戸に手助けに行こうかとも考えたが、自分に何ができるかわからなかった。

 社屋の全壊した神戸新聞社に、災害時相互援助協定を結んでいた京都新聞社が手をさしのべ、地震当日の神戸新聞夕刊の発刊にこぎつけたことを後に知った。発生当日の夕刊も配達した。今思えば、新聞を配って京都の人々に被災地の情報を届けることが、あの時の私にできたせめてものお手伝いだったかもしれない。

 翌年から専門のインドネシア史研究のため数年日本を離れた後、1999年春に神戸大に着任した。神戸の街中にはまだまだ震災の傷跡が色濃く残り、被災者の仮設住宅もあちこちに見られた。

 インドネシアから迎えた妻との間に授かった2人の子育てのさなか、2006年5月27日、妻の故郷・中部ジャワでマグニチュード6強の地震が発生した。死者5749人、負傷者約4万人、被災家屋約60万戸という規模においても都市直下型という点でも、阪神・淡路大震災とよく似た地震だった。妻の遠縁の叔父が落命したほか近親者に大きな被害はなかったが、人ごとではなかった。

 阪神・淡路大震災の発生時にかなわなかった分まで、できる範囲で、支援活動を行った。地震などの天災や人の生死に対するジャワの庶民の考え方は、イスラム教の影響もあり、「天命として受け入れる」傾向が日本と比べて強い。他方で、被災のただなかでも復興の過程でも、「人とつながっている」感覚が被災者の気持ちのもちようを分ける大きな要素であるらしい点は、両者に共通していると感ぜられた。

 それは被災時に限らず日常でも同じことかもしれない。京都、神戸、ジャワという自分と家族を育ててくれた地の(犠牲者の方々を含めた)人々とのご縁、頂いたご恩に感謝しつつ、今後いっそう自分の持ち場でささやかながらも温かいつながりを創っていこうと思う。(神戸大国際文化学研究科教授)