突き上げるような揺れの衝撃を、今も体が覚えている。震源から離れた大津市の自宅で眠りを覚まさせられたあの日-。阪神・淡路大震災の発生から四半世紀となった▼神戸市に向かう国道沿いの住宅はみな同じ方向に倒れていた。空襲を受けたように全焼した長田区の商店街ではカメラのシャッターを切るのがためらわれた。倒壊した酒蔵の周辺に漂っていた酒の香りは今も鼻腔(びこう)に残る▼取材したのは被災地のごく一部にすぎないが、壊滅状態となった街のようすは脳裏に刻まれた。直接被災し、家族や財産を失った方々には、言葉では言い表せない重い記憶になっていよう▼25年もの歳月は、街の姿を大きく変えた。震災を知らない世代も増えている。毎年の追悼行事はあっても、被災した経験や教訓をどのように伝えていくかは年々難しくなる▼1185年に京都で大地震に遭った鴨長明は「方丈記」で<月日かさなり、年経(へ)にし後は、ことばにかけて言ひ出(い)づる人だになし>と嘆いた。時間の経過とともに話題にされにくくなるのは、やむを得ない面もある▼記憶を引き継ぐ上では、震災について知りたい、聞いてみたいと若い世代に思ってもらえる仕掛けが決定的に重要ではないか。多くの人が体感したあの日の揺れを語る機会が、もっとあってもよい。