息子が亡くなってから、両親は鶴を折り続けている。一日一日、日付を記してきた

息子が亡くなってから、両親は鶴を折り続けている。一日一日、日付を記してきた

 京都市伏見区桃山町因幡のアニメ製作会社「京都アニメーション」(京アニ)第1スタジオが放火され、36人が死亡、33人が重軽傷を負った事件は、18日で発生から半年となった。ある遺族は「息子の生きた証しを残したい」と匿名を条件に初めて京都新聞社の取材に応じた。これまでから取材を受けてきた別の遺族は、喪失感にさいなまれる心情を打ち明けた。「時間は止まったまま」。心の痛みと向き合う日々が続く。

 近畿地方に住む遺族の自宅には、千羽鶴が飾られている。事件で亡くなった息子を忘れないために、両親が毎日、折り続けてきた。年末、一年を振り返る報道番組があると、あの日の映像が目に入るのを恐れてチャンネルを変えた。親族の輪に息子だけがいない、初めての正月。「湿っぽくなるのは嫌でね。息子の話は、あまりしなかった」。父親(76)は言った。
 1月中旬、犠牲者の名前を記事では伏せることを条件に、両親は京都新聞社の取材に応じてくれた。実名が記事に載ることで、息子の妻や孫の生活に影響が出ることを案じる思いがあるという。父親は「あくまで、残された嫁と孫のことが最優先です」と語った。
 父親は事件をテレビのニュースで知った。息子は別の場所にいると思い込んでいた。「中で息子が苦しんでいたのに、自分はのんきに映像を見ていた」。震える声。煙を上げるスタジオの映像を目にすると、今も罪悪感にさいなまれる。
 居間に飾った遺影を母親(77)は直視できないという。息子の姿を思い出すと朝まで眠れなくなる。睡眠薬を飲むようになった。
 両親は亡きがらの顔を見なかった。それが負い目だという。母親は、別れの際、息子の顔に布の上から触れた時のことを思い出す。「氷を触ったみたいでね」
 事件後、両親は息子が携わった作品の資料を集めた。精緻を極める京アニの製作を支えた息子の功績を知り、その陰にある努力を想像した。そして、残された子どもの成長を見届けることなく逝った無念を思った。
 息子は親戚づきあいに欠かさず顔を出し、孫を連れて足しげく実家に帰ってきてくれた。生前の姿を語る両親は時折、笑顔をのぞかせた。「どうして取材に応じてくれたのか?」。記者の問いに父親は答えた。
 「歴史の中に少しでも息子という存在の記録が残っていれば、孫が大きくなった時、『確かに、お父さんは命のバトンを自分たちにつないで志半ばで去って行ってしまった』と理解してもらえる」

■娘を語るむなしさ抱え

 亡くなった津田幸恵さん(41)の父親伸一さん(69)=兵庫県加古川市=は、事件直後は慌ただしく過ごしたが「悲しみに打ちひしがれた思いは時間がたっても変わらない」と語る。昨年8月には机の上に並んでいた幸恵さんと愛猫の遺骨は、なくなっていた。「お墓に入れました」
 京都市にあった幸恵さんのマンションは事件から約1カ月後に引き払った。持ち帰った遺品は四畳半と六畳の2部屋がいっぱいになるほどで、約3カ月かけて整理した。ロボットのプラモデルや人形など子ども時代の幸恵さんが遊んだ品も処分した。
 頼まれると断れない性分ゆえ、当初から報道各社の取材に応じ続けてきた。ただ、報道されることには「意義を見いだせない。幸恵がどんな子だったかを伝えることが何の教訓につながるのか」と話す。
 昨年9月に京アニが遺族向けに開いた説明会には足を運ばなかった。「京都へあらためて行っても仕方ないでしょう」。丁寧ながらも強い口調の中に、癒えることのない悲しみがにじんだ。