地元京都で行われた激励会で肩車される安昌林選手。背中には統一旗をまとう(京都市下京区)

地元京都で行われた激励会で肩車される安昌林選手。背中には統一旗をまとう(京都市下京区)

  京都市南区東九条で育ち、来年の東京五輪で金メダルを狙う柔道家がいる。在日3世で韓国代表を目指す安昌林(アンチャンリン)選手(25)。自身のルーツに誇りを持ち、常に困難な道を選びながら世界選手権王者にまで登り詰めた。「韓国の前に、僕は在日の代表だと思っている」。同胞の思いも胸に、日本開催の特別な五輪で頂点だけを見据えている。

 「柔道が大好き。五輪と世界選手権で優勝して、世界最強の在日の安昌林を見せつけられたら」

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 4月に京都市内で開かれた激励会で、安選手は宣言した。会場で見守ったのは、京都朝鮮第一初級学校の同級生や八条中の恩師ら約400人。プロボクシング元世界王者の徳山昌守さんやサッカー元北朝鮮代表の安英学(アンヨンハ)さんら在日のスポーツ選手たちも全国から駆けつけた。

 国籍を超えた大勢の仲間から期待され、純粋な気持ちで金メダルに挑む。今の境地にたどり着くまでには何度も難しい「選択」を迫られた。柔道を続けるため日本の中学に通いたい―。在日の権利獲得に命をかけて戦った祖父のため、日本国籍は取得しない-。

 「在日はすごく難しい立場。僕が世界で勝つことで在日の文化を知ってもらい、こういう人たちがいるんだなと感じてもらえれば」。畳の上で戦う理由の一つを、安選手はそう語る。2連覇が懸かる8月の世界選手権、その先にある東京五輪。強固な決意を胸に目標に向かう。

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安選手は1994年3月、京都市南区で整骨院を営む父の安泰範さんと、同区のNPO法人「京都コリアン生活センター エルファ」事務局長を務める母の南●賢(ナンスンヒョン)さんの長男として生まれた。遊び場は地元、東九条の町。サッカーと空手が得意な少年だった。=●は王ヘンに旬

 京都朝鮮第一初級学校に入学すると、京都府警九条署(現南署)で活動していた九条少年柔剣道愛好会で柔道を始めた。5年生の時に出場した全国大会予選で初優勝。サッカー選手への夢もあったが、全国大会で味わった敗戦が転機となった。「強い選手がいっぱいいる。おれも強くなりたい」

 強さを求める一心で、朝鮮学校ではなく、柔道部がある八条中への進学を希望した。しかし、泰範さんは猛反対した。「せめて高校までは民族教育を受けさせたいという親としての思いが強かったので、想定外でした」と振り返る。

 説得を重ねても安選手は一歩も引かない。進路が決まらないまま卒業式を迎えた。力ずくで説き伏せようとした泰範さんに、安選手は大粒の涙を流して言い返した。「大好きな柔道を本気で学びたい。そしてオリンピックに出たい。中学で全国大会に出場できなければ、高校からウリハッキョ(朝鮮学校)に戻るから」

 八条中では柔道部の練習だけでなく、朝と夜の自主練習を志願。約束通りに、3年で全国中学大会に出場した。高校は神奈川の強豪、桐蔭学園高へ。当時の思いはノートに「三倍高い志、三倍努力、三倍工夫」と記している。実力者ぞろいの同級生の中で筑波大への推薦を勝ち取り、大学2年の全日本学生体重別選手権で優勝。念願の日本一に輝いた。

 だが、新たな壁が立ちはだかった。

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 外国籍の安選手が出場できる大会は少なく、全日本体重別選手権など最高峰の大会は日本人しか出られない。周囲から日本国籍の取得を勧められたが、断った。「取得を考えたことはゼロではない。でも祖父や両親が守ってきたものを自分の思いで変えることは絶対にできない」

 この時も、自らの決断を信じた。筑波大を中退し、韓国の龍仁大に編入することを決めた。

 日本から旅立つ日。関西空港の出国ゲートで、見送りに来た家族を前に「これでよかったんかな」と泣いた。母は「これで良かったと思えるようにしようや」とそっと肩に手を置き、送り出した。20歳の春だった。

 韓国代表として初出場した2016年のリオデジャネイロ五輪。3回戦敗退してメダル獲得を逃し「五輪は精神論だけでは勝てないことが分かった」と振り返る。そして、東京五輪が1年後に迫ってきた。「僕としては(自分が)一番強い時期に東京で戦えることを運命だと思っている」。得意技は切れ味抜群の背負い投げ。優しい目の奥に自信をみなぎらせた。

 安選手が京都に帰ってくると、必ず同級生が集まってくる。競技レベルが高い韓国で在日選手が代表になった例は極めて少なく、同級生は「精神的にも相当きつかったと思う。でもあいつは弱みを見せたり、友達を心配させることは一切なかった」と語る。「在日の代表」を公言する親友に対し、「自分にとって一番大事なものが何かを分かっている。いつもそばにいてくれる親友であり、家族のような存在」と話す。