平和への思いを語る中西進さん(京都市内)

平和への思いを語る中西進さん(京都市内)

中西進さんの著書「令しく平和に生きるために」(潮新書)

中西進さんの著書「令しく平和に生きるために」(潮新書)

 「令和」で初めての夏を迎えた。新元号の考案者とされる万葉学者で、戦争経験世代である国際日本文化研究センター名誉教授の中西進さん(89)=京都市西京区=に、新著「令(うるわ)しく平和に生きるために」(潮新書)に込めた平和への思いを聞いた。

 中西さんは5月1日の改元を前にした京都新聞のインタビューで、自らが考案者であるかについては明言を避けながら、「令和」には平和な時代への目標の意味が込められているという解釈を示した。「時間がたち、日本人の中に溶け込んできたのではないでしょうか。希望として掲げる時代の標語として非常に良い内容だと思います」と語る。

 「時に(令和に込められた思いが)忘れられることもあるでしょう。忘れることもいいじゃないですか。厳しい母親からいつも『ああしなさい』『こうしなさい』と言われるより、忘れたり思い出したり、自然な関係が一番。そうなってくれたらしめたものです」

 そう笑う一方で「平和という目標は、しかし簡単に破られる」と戒める。「何でもないことが何でもなくなるのが戦争。電気は明るいものなのに戦争中は暗くしてなくちゃいけない。電気をつけると怒鳴られる。異常事態ですよ。物理的にも精神的にも暗かった」

 東京生まれの中西さんは、終戦の2年前までの4年間、公務員だった父の転勤で広島に住んだ。「田舎だから排他的でしょ。家族みんなで東京に帰りたいと言ったら、父は仕事を辞めてくれたんです。すごい人でしょ。私ならできません」。原爆で同級生の多くも失ったという。東京でも毎晩のように空襲警報が響き、焼死体を何度も目にした。「戦争は大虐殺が正義として行われる。とんでもないことでしょ」

 暗黒の少年時代。「本屋さんに行っても何の本もない。国家主義的なものが並ぶが、それも少ない。新聞もほとんど出ない。そこで、辞書を読みました。これが、まあ面白いんだ。いくら読んでも終わらない。分類せず、音順で並んでいるでしょ。だから意外な並びになる。『大空』という言葉の近くに『オッペケペー』があったりする」

 終戦から8年がたった頃、東京大の大学院に進んだ中西さんは都立の夜間高校で教えた。「勉強の夢を賃金にかえた」地方出身の若者が多く学んでいた。小学校の校舎を借りていたため、生徒たちは体を曲げて小さな机に向かった。喜々と学ぶ若者だが、掛け持ちの仕事が増えると生徒は次第に減っていった。その時の無念さが教師生活の原点と振り返る。「私も修士論文が忙しくなり、夜間教師は1年で頓挫するのですが、切なくも誇り高い思い出」

 新著「令しく平和に生きるために」は、月刊誌「潮」で2016年1月から続くコラム「こころを聴く」をまとめた。そこでは、聖徳太子の「十七条の憲法」への思いがたびたび触れられる。令和の和は「十七条の憲法」が重んじた「和」だと語る中西さんは「聖徳太子は条文で非常に単純に『ともにこれ、凡夫のみ』、つまり、人間はみんなばかだと思いなさいと言う。自分の判断が正しいと思い込むから相手を怒ってしまう。人間は自分も含めて、みんな愚かだと思えば紛争はなくなる」と指摘する。

 「令とはストイシズム。自らを律し、ストイックに生きる気高いまでの精神性。これが『令しい』に込められた思いでしょう。戦争への危うさは常にある。だからこそ、この思いを大切にするべきです」