震災を報じる新聞記事を眺める吉元さん。自宅近くの病院が写真に写っていた

震災を報じる新聞記事を眺める吉元さん。自宅近くの病院が写真に写っていた

 「大した経験をしてなくて、すみません」。以前いた沖縄の新聞社では、沖縄戦の取材をすることが多かった。「ありったけの地獄を集めた」と評され、県民の4分の1が犠牲になった悲劇。高齢の体験者に当時のことを聞いていると、会話の中で冒頭の言葉を挟む方が多くいた。

 私は内地に疎開していたから。家族全滅ではなかったから。命があったから―。「死んだ人がうらやましかった」というような状況で、生き残ったことを喜べず、罪悪感を持つ人も少なくない。戦後はやった民謡は「あなたも私も艦砲射撃の喰(く)い残し」と歌う。

 食料も寝る場所も満足になく、安心できない日々を送る。それだけでも大変なはずなのに、自身の経験を「大したことない」と評するのは、ひどい状況を嫌というほど知っているからだろう。先日、阪神大震災の聞き取りをしていて、沖縄戦体験者の語りと重なる部分があると気付いた。

 被災者と話していると、家が半壊した、けがをした―そんなエピソードが出てくる。驚いていると、遠慮がちに「いえ、大したことないんですが」と付け加えられる。

 4歳の時に被災した京田辺市消防本部の吉元弘さん(29)は、神戸市の自宅が全焼した。でも、命があったことが幸いだったと振り返る。吉元家では、午前5時50分に父がストーブをつけるのを日課にしていた。住んでいた家は地震でガス漏れが発生。地震が起こるのがあと5分遅かったら、爆発で命も危なかったという状況だった。全て燃えてしまったが、家族全員が逃げ出せるだけの時間があった。そうではない可能性も、真横に潜んでいた。

 震災について友人と語るか問うと、あまり話さないという。「でも、みんないろいろあったと思いますよ」と断言した。記者は聞いたことを記録するのが仕事だが、彼らの発言をそのまま「大したことない」に押しとどめてしまうことは、大きな何かを見失うことだと感じた。死が間近にあったことを実感するというのは、どういう気持ちなのか。その前提を共有していない私が、話を聞かせてもらうことについて、ずっと考えている。

 現代作家の山城知佳子さんは、沖縄戦継承をテーマにした作品を多く作っている。戦争体験者のたくさんの手が、作家の顔に触れる写真作品「バーチャル継承」、サイパン島での玉砕戦を体験した高齢者の語りを自らの口を通して再現しようとする映像作品「あなたの声は私の喉を通った」。さまざまな手法を通し、想像力を広げることで、「能動的な記憶の継承」について探っている。

 たわいない一言の奥にある思いをどう見つめ、再び言葉にしていけるのか。私も記者として、考え続けていくべき課題だと強く思っている。