
アートの研究・調査を進めるキュレーターとして一人の作家を長い間見続けていると、個展として、どのタイミングでどこまで見せる展覧会をするかは、とても重要になる。
京都市立芸術大学の学生が1984年に結成したダムタイプは、マルチメディアを用いるアーティスト集団である。ヴィデオアート黎明(れいめい)期にコンピュータを使い、映像、音と身体パフォーマンス、舞台装置としてのインスタレーションを組み合わせた総合表現は海外からも、パイオニアと称賛された。
テクノロジーと身体が生み出す正と負の関係。情報過剰な社会に対する一つのアンチとして、ダム(喋らないこと)を選択したクールで曖昧な新しい美学。資本主義やテクノロジーとの葛藤を示すアクチュアルな批評性で、アート界だけでなく演劇界、音楽界からも注目された。
メンバー全員が平等に企画を提案し、一から話し合いで内容をきめるゆえ制作には長い時間がかかる。管理社会やジェンダー問題をテーマにした作品が前半に、中心メンバーのひとり古橋悌二の死後、死や記憶、旅立ちがテーマの作品が作られた。
東京都現代美術館で2月16日まで開催中の特別展「ダムタイプ―アクション+リフレクション」は、2018年のフランス、ポンピドウメッツでの個展(筆者企画)がベースとなっている。パフォーマンス表現は展覧会にすることが難しい。よくできた記録映像でもライブの鮮やかさにはかなわないからだ。
インスタレーションの新作をつくるにあたり、彼らは感覚や感情、身体に訴えるアクチュアリティーの維持を重視した。透明なレコード盤をのせた16のユニットが、さながらネットワークでつながれた人間間のコミュニケーションのように音を発する「Playback」などだ。
パフォーマーが演じているかのようなリアリティに、メディアのもつ透明感が加わり、観客は内省的な鑑賞体験に引き込まれて行く。
若手メンバーを加えて更新し続けるダムタイプは、今年18年ぶりの新作パフォーマンス「Dumb Type 2020」を発表する(3月28、29日。ロームシアター京都)。 2020という象徴的な数字と時代、自分たちが感じていることをありのままに見せるという考えだ。
ダムタイプは、信頼によって、そしてメディアをつかって新しい身体をつくることを信じている人たちの集まりである。彼らは2020年クラウドとして世界に発散するだろう、これを継続して見続けるキュレーターもクラウドの一員として存在するべきなのだろう。(東京都現代美術館参事)