琵琶湖底の尚江千軒遺跡の調査で発見され、12世紀ごろのものとみられる屋根瓦

琵琶湖底の尚江千軒遺跡の調査で発見され、12世紀ごろのものとみられる屋根瓦

 カメラを搭載した水中ロボットが、滋賀県米原市朝妻筑摩沖の琵琶湖底をゆっくりと進む。東西約800メートル範囲で、船上のモニターでポイントの目星をつけ、ダイバーが次々に潜った。濁って1・5メートル先を見るのがやっと。滋賀県立大の林博通教授(現名誉教授)の研究班が1998年から調査を続け、7~14世紀前半の土器や瓦、古墳の石室が崩落したとみられる石群などが見つかった。


 水深3~5メートルほどにあるのは尚江千軒(なおえせんげん)と呼ばれる遺跡。集落が湖底に沈んだとされる「千軒伝承」地の一つだ。未解明の部分は多いが、研究班の一員だった中川永(ひさし)さん(31)=愛知県豊橋市=は「発見された遺物の状況から人々の生活が水中に沈んだと考えられる。7~9世紀の須恵器や灰釉(かいゆう)陶器のほか、食器とみられる器など、万葉びとの生活に関わるものも見つかった」と語る。
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 「この辺りは、万葉歌が多く詠まれた縁の深い地域です」。近くに住み、長年、博物館などで万葉集講座を行う元中学教諭礒﨑啓さん(92)によると、近江国坂田郡だったこの地は、天皇家と関わりが深い豪族息長氏の本拠で、東山道も通る交通の要衝でもあった。北側を流れる天野川は、馬史国人が恋心を詠んだ「息長川」を指し、南には高市黒人が鶴の集まる地とした「磯の崎」がある。
 その中心付近に位置する筑摩神社の眼前の湖底に、尚江千軒遺跡は沈む。神社に所蔵される「筑摩社並七カ寺之絵図」には、現存する「磯」「朝妻」「筑摩」のほか、水没したとみられる集落などが読み取れる。神社の北側に「西邑」、南に「神立」の文字に加え、家屋や陵墓、大鳥居…。北村悟宮司(77)は「70年ほど前は湖の水も澄み、地元の漁師から『漁に出ると湖底に鳥居が沈んでいるのが見えた』と聞かされた。絵図に描かれている湖岸の大鳥居かもしれない」と話す。
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 集落水没の原因は何か。研究班は、鎌倉時代の1325(正中2)年、滋賀から福井に延びる柳ケ瀬断層系で発生したとされる正中地震と仮定した。京都大防災研究所などとボーリングや音波で湖底の地盤を分析。湖底で発見した遺物や遺構、湖岸の陸地の地質調査を踏まえ、大地震で下部の軟らかい地層が液状化し、上部の硬い地層が湖に滑り落ちた可能性が高いとの結論に達した。
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 中川さんは県立大を卒業後、豊橋市文化財センターの学芸員となったが、毎年、研究者仲間や後輩らと尚江千軒に潜る。「中近世の地震や風水害の様子は、有力人物周辺の記録しか残っていない。湖底を調べて、庶民がどのような生活を営んでいたかを明らかにするのが、水中考古学の醍醐味です」と、ライフワークを語る。
 琵琶湖には、地震などによって沈んだ湖底遺跡が100カ所ほどあるとされる。林名誉教授は「尚江千軒一つをとっても、大地震による地滑りで、広範囲の集落が水没したことが分かった。湖岸では地下の軟らかい地盤が液状化し、地滑りする恐れがあることは歴史が物語っている。目に見える部分の耐震補強も大切だが、湖岸の陸地部の地滑りを土木工学的に防ぐ方策を考えておく必要があるのではないか」と指摘する。