室戸台風に関する冊子をまとめた浅井さん(前列中央)と、台風を経験した勧修尋常高等小の卒業生たち(京都市山科区)

室戸台風に関する冊子をまとめた浅井さん(前列中央)と、台風を経験した勧修尋常高等小の卒業生たち(京都市山科区)

室戸台風が勧修小を襲った時の様子について、証言や資料を基にまとめた冊子

室戸台風が勧修小を襲った時の様子について、証言や資料を基にまとめた冊子

 児童700人の命はこうして救われた―。1934(昭和9)年の室戸台風の襲来で、勧修小(当時・勧修尋常高等小、京都市山科区)は講堂が全壊するなど大きな被害に遭ったが、奇跡的に死者は出なかった。その要因や緊迫の状況について、同区在住の男性が冊子にまとめた。「私たちの体験を後世に伝え、防災に役立ててほしい」。執筆を後押ししたのは、92歳になる当時の1年生たちの切実な思いだ。

 冊子「勧修小学校 奇跡の一日」を書いたのは、郷土史家の浅井定雄さん(69)=ペンネーム・鏡山次郎。昨年秋、同小卒業生の中村悦子さん(92)=山科区=から、地元の昭和史を掘り起こしてほしいと依頼され、証言を聞くために中村さんの同窓会に出席した。
 集まった同級生5人が共通して印象に残ったという出来事が、小学1年で経験した室戸台風だった。浅井さんは「地域であまり知られておらず、証言者も少ない。子どもたちに伝えて、という願いを形にして残さないといけない」と考えた。
 京阪神を中心に約3千人の死者が出た室戸台風は、34年9月21日朝に京都へ接近。当時、ラジオのある家庭はわずかで気象情報も乏しかった。同小の児童は暴風雨の中をずぶぬれになって登校し、朝会のため講堂へ。上門俊夫さん(92)=西京区=は「講堂は児童でいっぱいだったが、先生の指示で急いで教室に戻った」と振り返る。退出して15分後、築50年以上の講堂はごう音とともに倒壊した。
 窓が割れたり屋根が吹き飛んだりと、戻った教室でも危険な状況は続いた。「先生のはかまを握り、泣く子も多かった」と森田エミ子さん(92)=山科区=。別の校舎まで懸命に走った後、さらに校外の田んぼに逃げるなどし、全員が九死に一生を得た。
 体験談や資料を基に執筆した浅井さんは「700人の児童は間一髪で助かったが、決して偶然ではなかった」と指摘。学校長の統率の下、教職員や児童が迅速に行動するなど防災の基本が徹底されていたとし、「人的被害の大きい災害の記録や慰霊碑は多いが、無事に避難できたケースの教訓や要因も伝える必要がある」と訴える。依頼した中村さんも「冊子ができて本当にうれしい。自然災害が増える中、機会があれば私も体験を話したい」と力を込める。
 冊子はB5判39ページで、同小や図書館などに配る予定。

≪室戸台風≫

 枕崎台風(1945年)、伊勢湾台風(59年)とともに「昭和三大台風」と言われる。京都市で最大瞬間風速42.1メートルを観測、京都府内で230人以上が死亡した。木造校舎の倒壊も相次ぎ、京都市内では西陣小の41人など児童生徒112人、教員3人が亡くなったとされる。