南京都高の恩師だった武元前川監督の思い出を語る村田諒太(京都市内)

南京都高の恩師だった武元前川監督の思い出を語る村田諒太(京都市内)

南京都高時代の村田選手とセコンドに付く武元さん=武元さん家族提供

南京都高時代の村田選手とセコンドに付く武元さん=武元さん家族提供

 南京都高(現京都廣学館高)ボクシング部を強豪に導き、プロの世界王者となった山中慎介さんや村田諒太選手(帝拳)ら多くのボクサーを育てた元監督の武元前川(たけもとまえかわ)さんが亡くなって今月で10年を迎えた。2012年に恩師の夢だった五輪に出場し、金メダルを獲得した村田選手は、現在も世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座を守る。今月上旬、節目に合わせて京都を訪れ、墓前で一つの約束を誓った。

 武元さんは鹿児島県の沖永良部島出身。島の高校でボクシングを始め、日本大では全日本選手権や国体で活躍した。南京都高の開校当初から部を指導し、全国高校総体で3度の団体優勝に導いた。五輪日本代表コーチなども務めたが、2010年2月に50歳で急逝した。
 南京都高で主将を務めた村田選手は今月、自身の後援会が主催した祝勝会に出席し、10年前を振り返った。訃報を伝えられたのは「オリンピック出場を諦めたくないと頑張っていた時期。ナショナルトレーニングセンターで一人、サンドバッグを打った後、先輩から聞いた」。信じられない気持ちで帰宅すると、涙が止まらなくなったという。「まあこんなに泣けるかというくらい泣いた。この10年間で一番涙が出た日。普段泣くことってないんで」
 その後、先輩の山中さんが世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級王者となり、自身も五輪で金メダルを獲得。さらに後輩の久保隼選手(真正)もWBAスーパーバンタム級王座をつかむなど、教え子の活躍が続いた。村田選手は「武元先生が残してくれたものが形となり、どんどん現れていった10年間。先生の影響力が消えることはなかった」と思いを寄せる。
 恩師の存在について「日本人には、やおよろずの神として『どこでも神様が見ているぞ』という気持ちがあるように、僕には先生が見ているという気持ちがどこかにある。先生に恥ずかしい思いをさせたくない気持ちは、できるだけ持ち続けたい」と語る。
 武元さんから「ボクシングで体を壊してはいけない」と言われてきた。34歳になった村田選手は墓前で手を合わせて語りかけたという。「これから大きな試合があるとか言われていますが分かりません。ただ先生の言葉を覚えています。壊れる前に終わりますから、もうちょっとだけ見守っといてください。やれるところまでやるけど、これ以上駄目だと思うような状態ならやらないですから。そこは安心してください」