よこうち・ひろと 1969年生まれ。東大寺史研究所副所長、文化庁美術学芸課文化財調査官などを経て現職。京都府教委の未指定文化財調査も担当。著書に「日本中世の仏教と東アジア」。

 昨秋、九州国立博物館で「版経東漸」展が開催された。私たちが10年かけて行った調査成果をもとに、長崎県対馬に伝わった渡来印刷経典を集めた展示である。版経は、朝鮮半島で刷られた経典のほか、中国江南地方で印刷され、朝鮮を経て対馬に伝わった流転の歴史を持っている。

 これらの経典は、朝鮮王朝が、倭寇(わこう)問題の緊張緩和のため、室町時代の対馬領主・宗氏の求請に応じ下賜したもの。宗氏は領国経営のため島内の寺社に奉納した。対馬所在の渡来版経は日朝外交の申し子なのだ。

 対馬は、国境の島と呼ばれる。釜山からわずか60キロの場所に位置し、常に半島との交流の最前線にある。半島から伝来した数多くの文化財が、この島に眠る。交流とはしかし、平和なものもあれば暴力的なものもある。対馬を挟んだ、日本と半島との交流の歴史も両面を引きずり、現在に至っている。

 2009年、文化庁で文化財調査を担当していた私は、島内の寺社に経典購入を持ちかける人物が回っているとの情報をえて対馬に向かった。対馬の経典は本格的な調査が行われず、文化財保護の網からこぼれ落ちたままであった。弱みを狙い、買い取りや盗難が散発する。文化財調査は一刻の猶予も許されなかった。

 以来10年。対馬所在の渡来経典の悉皆(しっかい)調査を終えることができた。三千三百点余りの経典をすべて開き、紙数・法量を計測し紙質や書き込みを記録した。調査が実り、3件の経典群が国重要文化財に指定され、2件が国庫補助で修理されている。この10年のあいだにも、二度の外国人窃盗団による盗難があった。目的は金もうけにすぎないが、渡来経典につきまとう「略奪文化財」のレッテルがその行動を正当化している。

 だが渡来経典は、かつて緊張解決のため日朝間で行われた外交の賜物(たまもの)であった。その事実を日韓両国民にひろく知ってほしい。

 おもえば渡来経典自体が、隣国からの侵略軍撃退のため刷られたり、また元と高麗の友好関係のなかで高麗貴族が中国江南で印刷させたりと、東アジアの緊張と平和の歴史から生まれた文化財なのだ。歴史を背負った経典が対馬にあること、その意味を伝える責務を痛感する。

 昨秋の対馬への来島は21度目となった。観光バスが行き交い活気のあった厳原の町からは韓国人観光客が消えている。拡幅された道路と新築のホテルが、日韓交流への期待の大きさと難しさを端的に伝えていた。だが厳原を見下ろす城跡に威容をあらわした新・対馬博物館が、日韓交流の新たな架け橋になることを、今は見守りたい。(京都府立大教授)