薬物依存症は、自分のことを誰かに話すことが難しい孤独の病だと、京都ダルク(京都市伏見区)職員の男性は話す。市販薬依存症に苦しんだ歳月を経て、断薬して13年目になる。「私にとって最大の処方は、人とのつながりでした」。その言葉に込められた思いを聞いた。
 ■毎日10本を飲み干してた
 覚せい剤は犯罪と分かっていたし、恐怖心や「やばい」という感覚もあった。友人に誘われ、覚せい剤を始めたのは18歳。何度も断った。だが、友人がやっているのを見て、「自分も大丈夫だろう」と誘いを受け入れた。やがて仲間が逮捕されるなどし、覚せい剤が手に入らなくなった。そんな頃、誘われたのが液体咳(せき)止め薬だった。
 市販薬は犯罪にもならないし、すぐ買える。始めは1本を友人と半分ずつ。デザイン会社に勤務し、展示会などを担当。仕事は好きだった。でも、咳止め薬の大量摂取をやめられず、飲まずにおられない自分を見ないために、さらに飲み続けて。現実逃避だった。
 朝起きて1本、家から駅まで歩きながら1本、会社に着いたら1本…毎日10本を飲み干した。

■自分を責め、泣きながら飲み続けて
 空っぽになった咳止めの瓶。視界に入ることが苦痛で、飲んだらすぐに投げ捨てた。部屋の窓から田んぼに、駅までの道端に。道にはたくさん瓶が転がっていたと思う。
 自分を責め、泣きながら飲んでいた。愛情深く育ててくれた両親の期待に沿いたい。だが薬を飲み続け、真逆の姿になっていく。脳が半分に分かれたような感覚。右側では薬のことを謝っているが、左側は「薬が飲めなくなったら」と心配している。自分はおかしくなったのかという焦り。何度もやめようと思った。禁断症状の微熱や鼻水が2カ月間止まらず、吐き気が苦しかった。
 市販薬を買うために借金をして、督促状が家に届き、家族に知られてしまった。家族に「死んでくれ」と怒鳴られても、足をつかまれ屋外に出されても、ドラマでも観ているようだった。ただ、涙が流れた。踏切に向かった。これまで何度もよぎった自殺。電車が迫る。でも、怖くて逃げた。

■「助けてください」初めて言えた
 東京の依存症回復施設ダルクで2年半過ごした。すぐに薬物をやめられたわけではない。仲間は誰も責めなかった。何も言わず、そばにいてくれる。そのことが痛かった。ある日、「もうそういう生き方やめよう。見ていてつらいよ。一緒にやめていこうよ」と言われて。涙が止まらなかった。「自分の力では無理です。助けてください」と、初めて言えた。

■仲間と体験や思い分かち合い、回復へ

 現在、男性は京都でダルク職員として働く。ダルクは、市販薬や処方薬も含めて薬物依存症からの回復を目指す施設だ。薬物依存症は仲間と過ごすことで回復していく。「社会復帰やリカバリーといった言葉は自分には当てはまらない。元いた場所に復帰すれば、薬を使っていた頃に戻ってしまう。だから『社会参加』であり、『再スタート』なんです」
 学校や講演会で、実名で体験を語っている。「薬をやってはいけないことは大前提。でも、人とのつながりの大切さも伝えたい。依存症の自分を見捨てた人はいなかった。遠ざけていたのは自分自身でした。自助グループやダルクで出会った仲間が、助けたり、助けられたりして生きる方がずっと楽だと教えてくれた」
 違法薬物であれ、市販薬であれ、アルコールであれ、対象が違うだけで同じ依存症という病だ、と男性。
 10代で増える市販薬依存症。「親の期待に応えようと懸命に生きてきた子が、しんどさを抱え、薬に逃げている背景がある。薬物依存は特別なことではなく、どんな人でもなりうる病です」