映画パンフレットにも、監督からの「ネタバレしないで」のメッセージがある。

映画パンフレットにも、監督からの「ネタバレしないで」のメッセージがある。

 話題の韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を見た。半地下の家に住む貧しい一家4人が、金持ちの邸宅に家庭教師や家政婦として入り込み「パラサイト」(寄生)していく物語。小気味よいコメディー劇に引き込まれていると、予想外の展開が待ち受けていて-。と、ここで筆を止めなければならない。なぜならこの映画、ポン・ジュノ監督自らが「ネタバレしないで」と注意を促しているからだ。

 インターネットを介して、だれでも情報を発信でき、アクセスできる時代。良くも悪くも「ネタバレ」への関心が高まっているように感じる。この映画でも、ある芸能人のコメントがネタバレに当たると非難されたり、肝心の部分をうまく伏せた映画評が称賛されたりと、「ネタバレ禁止」自体がプロモーションの様相を呈している。

 どこまでネタバレは許されるのか、日々の仕事でも考えさせられる。例えば読書面の記事。著作の魅力を伝えるのが仕事だから当然、内容に踏み込む。でも、一番面白いところが「ネタバレ」であったりすると悩ましい。そこで、ミステリー作家へのインタビューでは、必ず本人に確認することにしている。「アリバイが鍵になることは触れてもOK」とか、「○○トリックであることは絶対に書かないで」など、回答は人それぞれだが、著者が何を大切にしているのかという創作スタンスがうかがえて興味深い。

 一方、読者の目線に立つとどうだろうか。一切の情報をシャットアウトして向き合いたい人もいれば、多少のネタバレはOKという人もいる。犯行の動機や手口に驚きたい人がいる一方、トリックよりは物語そのものの面白さ、ニヤリとさせられる展開こそミステリーの魅力という人も。

 米国の心理学者による研究では、ネタバレがあった方が楽しめるという結果が得られたという。アガサ・クリスティーやロアルド・ダールなどの短編小説について、結末を知らされたグループの方が「面白かった」と答えた割合が高かった。「結末を知っている安心感」がそうさせる、と推測している。

 分からなくもない。ニュースサイトでは、本文の前に「ざっくり言うと」と内容を箇条書きで要約しているサービスがある。「5分でわかる」「1ページで理解」と銘打った名作紹介の本もよく目にする。情報があふれ、忙しすぎる現代にあって、どんな結末にたどり着くのか分からない長大な物語は避けられる傾向にあるのかもしれない。

 ネタバレで思い出すのは、1980年代に流行したファミコンゲーム「ポートピア連続殺人事件」。インターネットもない時代だが、犯人の名前が口コミで広がり、ゲームをする世代なら誰もが知っていた。ネタバレという言葉はなかったけれど、ばらされて腹立たしかったことを覚えている。今、その犯人の名は「ネタバレ」のスラングとしてネット上に流通している。