たかい・たかこ 1970年生まれ。日本近代史。京都女子大、京都市立芸術大などの非常勤講師を経て現職。2020年に開館50周年を迎えた高島屋史料館リニューアルオープンに携わる。

 日本の老舗百貨店のひとつである高島屋は、1831(天保2)年正月に、初代飯田新七が京都・烏丸松原の地に古着木綿商を創業したことにはじまる。やがて、京の呉服商としてその名を連ねるも、幕末の動乱にいや応なく巻き込まれ、1864(元治元)年7月、禁門の変の兵火により店舗全焼の憂き目にあう。

 40年後、1904(明治37)年に高島屋当主四代飯田新七は、京都市多額納税者第1位となる。それ以前は農業従事者が1位の京都で商工業者が1位となった嚆矢(こうし)であり、京都が商工業の都市へと移り変わる時代の転換点を象徴するものだった。

 明治という新しい時代を高島屋はどう歩んだのだろうか。明治初年、高島屋は呉服業のかたわら、ふたつの新事業をはじめた。貿易事業と、いまひとつは装飾事業である。

 貿易事業―。京都駅から北上する烏丸通に面していた高島屋は、明治初年より、京都を訪れる外国人が必ず立ち寄る店となっていた。外国人客がいずれも友禅の帛紗(ふくさ)類を買い求めたことから、「これからは外国人との取引を盛んにせねばならぬ」と輸出向け製品の製造に着手した。

 京の画家が下絵を描き、京の職人が染めや織り、刺繍(ししゅう)などの伝統技術を用いて、壁掛や屏風、衝立(ついたて)などに仕立てた。美術染織品と呼ばれたそれらは、海外の邸宅を彩る室内装飾品として続々と海を渡っていった。

 装飾事業―。1878(明治11)年に段通店(敷物・絨毯(じゅうたん)の店)を開店した高島屋は、国内に洋式建築物が増え、日本人の生活が洋風化していく未来を見すえていた。洋式建物の室内には、段通のほかにも、窓掛(カーテン)、壁張(かべはり)、椅子張(いすばり)などさまざまな裂地(きれじ)が必要であった。

 京都の確かな技術を持つ高島屋の製品は高く評価され、1887(明治20)年、明治宮殿(皇居)造営にあたり装飾織物御用を拝命するに至る。これを機に、官公庁の庁舎や邸宅の装飾織物を次々受注する。

 ふたつの新事業は、いずれも京都の伝統技術を駆使し、それまでなかった製品をつくり上げ、新しく快適で豊かな暮らしを求める人々へ届けた。高島屋は製品を各国で開催された博覧会へ出品し、受賞を重ねながら販路を世界へ広げていった。それは、東京に都がうつり、灯の消えたようになっていた京都の産業界を活性化させることにもなった。

 現在、高島屋史料館(大阪市浪速区日本橋、高島屋東別館3階)で開催中の企画展「世界をひらく」(4月5日まで、無料)では、高島屋がグローバルに成長を遂げていく姿を紹介している。京都から世界に挑んだ人々の心と技を、ぜひその目で確かめてほしい。(高島屋史料館研究員)