わかまつ・えいすけ 1968年生まれ。東京工業大教授。『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞と蓮如賞。公式サイトは「読むと書く」。近著に「悲しみの秘義」(文春文庫)など。

 あるときまで、災害は目に見えるかたちで起こり、さまざまな問題を私たちに突きつけてきた。しかし、東日本大震災のあと、放射能という目に見えないものとの関係で心を痛めなくてはならなくなった。

 災害が起こると、必ず復興が唱えられる。だが、ほんとうの復興とは何か。阪神・淡路大震災、東日本大震災という二つの大きな出来事を経験しながらも復興とは何かを考えないまま、目に見えるものの機能を回復させることに注力してきたのではなかっただろうか。

 もちろん、電気、ガス、水道、あるいは住居といったものの整備は不可欠だ。しかし、災害が奪ったのはそうした目に見え、手にふれることのできるものばかりではなかった。

 2019年11月にローマ教皇フランシスコが来日した。滞在中、彼は東日本大震災の被災者との集いを持った。そこで彼は、自身が考える復興をめぐってこう語っている。

 ≪食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です。≫(『すべてのいのちを守るため』)

 真の意味での復興とは、尊厳と希望が保たれる「場」が生まれることにほかならない。それだけでなく「出会い」と呼ぶべき出来事がそこに生まれ続けなくてはならない、というのである。

 今、この国だけでなく、世界がコロナウイルスという未曽有の「災害」の脅威におびえている。平常心を保って生きている人も少なからずいる。だが、その人の周囲にも、やり場のない不安に苦しんでいる人はいるだろう。

 災害は、建物や仕事や生活だけでなく、不可避的に私たちの意識の深いところにも影響を与える。災害時とは生活における非常時であるだけでなく、心の危機でもあることを忘れてはならない。

 これまで世の中は「弱い」人に、あまりに早急に「強く」なれと強いてきたのかもしれない。「弱い」人は何もしないのではない。むしろ、他者の「弱さ」を鋭敏に感じ、寄り添える人でもある。「弱い」人たちとのつながりが生まれる「場」、そこがほんとうの「復興」の起点になっていくのではないだろうか。(批評家)