東京電力福島第1原発事故による避難者が暮らした国家公務員宿舎桃山東合同宿舎。累計114世帯、350人という京都府内最大の受け入れ先となった(2018年2月23日、京都市伏見区)

東京電力福島第1原発事故による避難者が暮らした国家公務員宿舎桃山東合同宿舎。累計114世帯、350人という京都府内最大の受け入れ先となった(2018年2月23日、京都市伏見区)

 東京電力福島第1原発事故による自主避難者が暮らした京都市伏見区の国家公務員宿舎桃山東合同宿舎が、退去期限を迎えて今春で1年がたつ。苦境を共にしてきた隣人と離ればなれになった避難者の中には、転居の末にかさんだ家賃負担に、困窮したり、割り切れない思いを抱えたりする人がいる。東日本大震災は11日、発生から9年を迎える。

 「ぽつんと一人だから。せめて電車1本で京都へ行ける場所にしたかった」。放射性物質が流れ込んだ栃木県那須塩原市から合同宿舎へ避難した女性(64)が引っ越した先は、奈良市内だった。宿舎近辺への転居はかなわず、かつての隣人が多く暮らす伏見区と通じる近鉄沿線を選んだ。
 合同宿舎には2011年12月から住み始め、一緒に避難した母が死去してからは独り暮らし。昨年3月末の退去期限直前、やっと転居先を確保できた。宿舎で1万円だった家賃は、共益費込みで5万円超に跳ね上がった。
 福島県外からの避難者は制度上、公営住宅に優先入居できず、抽選に外れ続けた。民間物件では近畿圏に住む保証人や親族の身元引受人を求められたが、女性には頼める人がいなかった。心臓や脚の持病で高層階には住めない。入居できた都市再生機構(UR)の集合住宅の場合、保証人などは不要だったが、条件に合う部屋の家賃は予算を大きく上回った。
 土地勘も人付き合いもないまちで、病院選びから難渋した。体調不良を引きずり、荷物を片付けられたのは昨年12月になってから。家賃がかさみ、わずかな年金収入では家計を賄えない。亡き母の着物など遺品を売って足しにしたが、貯蓄はほぼ底を突いた。女性は「投げやりにならず、この状況を受け入れて生きていくしかない」と静かに話す。
 福島市から避難し、昨年2月に京都府宇治市の府営住宅へ転居した女性(19)は、大学に通い始めて1年がたつ。合同宿舎の頃は、行政の住宅支援の行方が見通せず、「いつ福島に帰らなければならないか、不安だった」という。
 転居先には、就職までは母子2人で住み続ける見通しだ。「『大学を辞めないといけないかも』と思わなくて済む。心おきなく今後の生活を設計できる」。小学5年から暮らす京都が「私にとっての地元」。ただし住まいの安心は、ひと月約2万円の家賃増と引き換えに実現した。
 母(51)は「国策で進めた原発がもたらした事故。本来、家賃を支払うべきなのは国と東京電力で、私じゃない」と割り切れない思いを語る。家賃は口座引き落としにはせず、あえてコンビニで納付して領収書を保管する。
 合同宿舎の元住民とは今も、通い慣れた伏見大手筋商店街(伏見区)などで会う。巡り来る春。宿舎で咲き誇った桜を思い出す。

≪東日本大震災による京都府と滋賀県への避難者≫

 両府県によると、ピーク時に計1500人近くに達した避難者数は、今年2月末時点で計520人(府内364人、県内156人)となり、1年前から計30人減った。両府県では既に、自主避難者に対する公営住宅や公務員宿舎といった公的受け入れ先の無償提供が終了。家賃の軽減策も19年3月末までに打ち切られた。