原発事故での避難の経験を語る橋本さん(京都府京丹波町)

原発事故での避難の経験を語る橋本さん(京都府京丹波町)

 東日本大震災から11日で9年。東京電力福島第1原子力発電所事故で福島県いわき市から避難した京丹波町高岡のマクロビオティック研究家橋本宙八さん(73)に被災の経験や現在の心境を聞いた。京都府に隣接する福井県では原発が再稼働しているが、橋本さんは「原発は危険。自然エネルギーへの転換を」と訴える。

 橋本さんは約40年前、東京から自然豊かないわき市の山中に移住し、5人の子どもを育てた。穀物や野菜の伝統食を中心としたマクロビで健康になるセミナーを行い、国内外から多くの人が訪れていた。1986年のチェルノブイリ原発事故に関心を持ち、1990年代には現地に足を運び、住民が被ばくしたベラルーシの子どもたちを保養滞在として福島に受け入れる取り組みも行った。

 「原発事故は大変なもので、放射能への対処法は逃げるしかないと、分かっていた」
 自宅は福島第1原発から約20キロの距離にあった。2011年3月11日、自宅には地震の被害はほとんどなかったが、その日の夜に家族やスタッフ、友人と車で出発した。

 「二度と帰ってこられないかもしれないと、子どもたちの大切な写真を車に積んだ。集落の人たちにも避難することを告げ、できるだけ遠くに逃げた」

 知人を頼って栃木県、東京都、岐阜県、三重県、大阪府、京都府、愛媛県を回った。震災から2週間後、いわき市内の自宅に荷物を取りに戻った。「放射線量は高く、頭がしまるような症状が出たほか、足元がかゆくなった。食で健康になる仕事をしてきたので拠点を手放すしかなく、残念な思いだった」と振り返る。

 京都市内を避難先に決め、自然が多い京丹波町に16年に移住した。いわき市には定期的に通い、家を保存している。

 原発は「事故が起これば膨大なエリアに住む人間の人生を奪ってしまう。放射能は目に見えず、人間が制御できない。リスクのあるものは使うべきでない」と指摘。震災から9年がたち、「自然エネルギーの転換に政府は早くかじを切るべきだが、動きが鈍い。膨大なお金をかけて原発に防波堤をつくり、再稼働を進めているのは残念だ」と語る。

 京丹波町は福井県の関西電力高浜原発や大飯原発から30キロ圏に一部地域がかかる。「事故が起これば、それぞれの住民が判断して行動を起こす必要がある。行政機関は状況を早く把握して、うまく避難できるよう有用な情報を提供できるかが問われてくる」と話す。
 福島県の現状は「事故がなかったかのようにされている。自然エネルギーや自然とともにある生き方を世界に発信するモデルになることが本当の意味での復興だと思う。次世代に二度と同じような経験をさせてはならない」。