町衆団結 集めた異国の逸品

疫病退散願い

 京都市中京区の京都文化博物館で、「特別展 京都祇園祭 -町衆の情熱・山鉾の風流(ふりゅう)-」が24日から5月17日まで開かれる。京都新聞創刊140年を記念して、同館や祇園祭山鉾連合会などが催す。疫病退散の願いを込めて祈った故事をルーツに発展した山や鉾の巡行は華麗な装飾で彩られ、人々の目を楽しませる。千年の都の歴史や文化、技術を結集した、世界に名だたる祭事の本質に迫る。

 「動く美術館」とたとえられる山と鉾の懸装品(けそうひん)は全国に影響を及ぼし、国際社会ともつながった。町衆のダイナミックな営みとエネルギーを秘めた物語を、展示の品からたどりたい。

古代ギリシアの叙事詩を題材にしたベルギー産タペストリーの復元想定図。裁断されて左部分は鶏鉾、右は長浜曳山祭の鳳凰山、下部の縁は霰天神を飾った

 ベルギーの織物が、はるかな旅を経て鎖国中の日本に届いた。古代ギリシアの叙事詩「イーリアス」を題材にしたタペストリーが、山鉾に異国情緒をもたらす。大きな織物は分断されて左半分が鶏鉾の見送、下部は霰天神(あられてんじん)山の前懸に用いられた。さらに右半分は、絹織物の産地・西陣に生糸を供給していた集積地の長浜に届き、長浜曳山まつりの鳳凰山を彩った。
 取引には、後にデパートを全国で展開するようになった名古屋に本拠を置く呉服商の京都出先機関も介在した。出展される売買記録の古文書が示す。
 京都文化博物館の橋本章学芸員は「豊かな経済力、広範なネットワークを築く情熱、美意識が伝わる」と話す。朝鮮半島やインド、中東から渡来した品も、鶏鉾や放下鉾、南観音山、太子山などを飾った。

先端技術のつづれ織の技法で天橋立を表現した懸装品(天保2年・占出山保存会)=後期

 江戸時代に国内最高の技術を誇った西陣の職工も腕をふるう。占出(うらで)山が天保年間に新調した日本三景の胴懸は、当時最先端だったつづれ織で絵画のように繊細に表現された。

祇園祭礼図屏風 左隻 17世紀後半(細見美術館)
祇園祭礼図屏風 右隻 17世紀後半(細見美術館)

 鈴鹿山の見送は、清王朝の官僚服をほどいて、織り足してつなぎ合わせた。境目がほとんどわからないほど見事な技が施されているという。
 橋本さんは「多くの人の目に触れる祇園祭は、最新技術の見本市のような役割も果たした」と語る。

飾金具に技巧の粋 後世に伝える寄進帳

欄縁に装飾された鶴や雲の金具 (天保9年・八幡山保存会)

 多様な装飾が施された山鉾の中で、金色に輝く飾(かざり)金具にも細部にわたって技巧の粋が込められている。
 特に江戸時代中期に技術は一気に進展したという。八幡山の欄縁(らんぶち)は重厚で立体的な表現で雲や舞う鶴の姿で飾られる。長刀鉾の欄縁も曲線や丸みなどを高度な技法を駆使してナメクジやサルなど多様な生き物を表現した。
 都の名だたる絵師たちが下絵を描いた構図を、職人たちが見事に再現した。巡行時に沿道の見物人から見えない部分にまでこだわって濃密な美の世界が創り出されている。

亨保から文化年間にかけての装飾品に関する寄進帳(北観音山保存会)

 多彩な装飾の品々を記録する道具帳が山鉾ごとに作成されるようになる。寄進や新調、しつらえの変更などをたどる貴重な資料となってきた。
 江戸時代後期に大改造を施した北観音山では屋根が装着される前の図面や飾金具の仕様をつづった書類などを残している。
 巡行のくじ順や天候、祭りの作法、行事の次第などをさまざまな町内が記録した。祭りを後世に継承していくために重要な役割を果たしていく。

神泉苑の御霊会にルーツ

 華やかに繰り広げられる祇園祭のルーツは、わざわいをもたらす霊が鎮まることを願って平安時代に営まれた御霊会(ごりょうえ)だった。新型コロナウイルス感染が拡大する今、祈りの地を訪ねて歴史に思いをめぐらせた。

祇園祭のルーツとなった御霊会が営まれた現在の神泉苑。66本の鉾が立てられた(京都市中京区)
 

 京都市中京区の御池通の名の由来にもなっている神泉苑は、中央の池が豊かな水をたたえる。マガモやハクチョウが水面に漂い、橋上から参拝者がコイにエサを投げる。
 「地下からわき出る水は、1200年前から絶えることはありません」と鳥越英徳住職(70)は話す。
 都の造営に合わせて宮域近くに造営された苑池では、天皇や貴族が舟を浮かべて宴や儀式を催した。空海は雨乞いの修法を営んだ。「南北四丁、東西二丁」と伝わる往時の寺域は、現在の10倍におよんだという。
 貞観(じょうがん)11(869)年に営まれた御霊会で、剣の形状を模した高さおよそ6メートルの鉾(矛)が立てられた。「水辺に沿うように立ったのではないでしょうか。当時の国の数を意味する66本が並ぶ姿は、さぞや壮麗だったでしょう」(鳥越住職)
 疫病が広がり地震などの災害や異変が全国各地で起きるなかで、人々が不安や恐怖心を募らせた。物資不足など実生活に影響がおよぶ。朝廷が安寧を祈る一大国家行事として営んだのが、御霊会だった。民心を安めるために、強い決意を目に見える盛大な形で示す必要に迫られたのだろう。現代につながる政治的にリアルな意図があったのかもしれない。
 同寺はその故事にちなんで、毎年5月の神泉苑祭で3本の剣鉾を立てる。

新型コロナウイルス感染防止のため休校中の子どもたちが座敷で時間を過ごす

 池のほとりにある料亭「神泉苑平八」では、30人ほどの小学生が静かに本やノートを広げたり、トランプで遊んでいた。
 同店は休校中に無料で座敷を開放している。クルーズ船利用など海外からの団体が途絶えただけでなく、地元の人たちによる歓送迎会も自粛ムードが影を落とす。仕入れ業者の協力で料理長が子ども向けの献立を日替わりで提供している。地元の若い女性がボランティアとして子どもを見守る。
 誰もが健康で、学び、遊び、働いて、活気ある暮らしを営みたいという切実な願いは、今も昔も変わることはないことを胸に刻んだ。

昨年1150年 記念の神事多彩に

 幾多の戦乱や火災による焼失や荒廃などを経て、江戸期に入ると神泉苑の北部分だった地に幕府が二条城を築く。寺域は縮小されても池の豊かな地下水脈は城の堀を満たした。幕府は同寺の堂宇などの復興をはかった。
 御霊会から1150年を記念して、昨年は多彩な行事が繰り広げられた。
 その一環として6月、二条城に剣鉾が並んだ。西院春日神社や嵯峨祭など11の祭りの剣鉾差しが実演された。人々は、いにしえに並んだ66本の鉾に思いをはせた。
  同年24日の祇園祭還幸祭当日。かつての境内南限だった三条通に面した八坂神社の末社に3基の神輿(みこし)が集結し、江戸時代の巡行が再現された。神泉苑前で拝礼する中御座を、鳥越住職は密教法具をかざす加持で迎え、八坂神社へ送り出した。

かつては神泉苑の境内だった二条城で、剣鉾差しが実演された(2019年6月)
還幸祭で3基の神輿が勇壮に八坂神社をめざした(2019年7月24日)

9年越しの集大成 長刀鉾の鉾頭も

 京都文化博物館は、祇園祭の各山鉾に伝わる品々を順番に紹介する「名宝」シリーズ展を、2011年から続けてきた。9年越しの事業の集大成として、新たな研究成果を加えた特別展が、24日から始まる。長刀鉾は山鉾巡行の先頭でシンボル的な存在感を放つ。神宝の鉾頭(ほこがしら)を出展する同保存会は、開催前に神事を営んだ。
 名宝展は、2階総合展示室のリニューアルオープンに合わせて企画された。祇園祭山鉾連合会の関係者から「祭りの時期に関係なく祇園祭の展示ができないか」と提案されたことがきっかけだったという。
 「京のまつり」ゾーンで11年7月から始まったシリーズ初回は、芦刈山や橋弁慶山など八つの山鉾の14点を展示した。当時は前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)が合同で巡行されていたため、後祭の復興を意識して、年間5回のうち1回は後祭の山鉾を取り上げたという。
 昨年10~12月の四条傘鉾の展示で、すべての山と鉾を紹介した。1988年、100年ぶりの巡行に参加した四条傘鉾について、中世にルーツをさかのぼる棒振り踊りの衣装や懸装品などを紹介した。特別展では、華麗な波の文様が施された欄縁(らんぶち)が展示される。
 長刀鉾保存会は特別展に、ふだんは公開されていない神宝の鉾頭などを出展する。保存会役員が会所の蔵から袋に収まった長刀を取り出し、八坂神社神職がはらい清めた。

特別展への出展を前に営まれた神事 (京都市下京区・長刀鉾保存会)


【会期】<前期>3月24日~4月19日<後期>4月21日~5月17日(前・後期で一部展示替えあり)。午前10時~午後6時(金曜は午後7時30分まで)。月曜、5月7日休館。5月4日は開館
【会場】京都文化博物館(京都市中京区三条高倉)
【入場料】一般1500(1300)円、高・大生1100(900)円、小・中生500(300)円。かっこ内は前売りと団体(20人以上)