妻君子さんと花見に出掛けたときの写真を手に、在りし日を振り返る谷口政春さん。「笑顔、笑顔の介護ができるとは、夢にも思わなかった」(京都市左京区)

妻君子さんと花見に出掛けたときの写真を手に、在りし日を振り返る谷口政春さん。「笑顔、笑顔の介護ができるとは、夢にも思わなかった」(京都市左京区)

 医師の谷口政春さん(95)=京都市左京区=が往診を終えて帰宅すると、妻の君子さんから一緒に演歌を歌うよう求められた。夕食前の日課。2人の表情が和らいだ。
 君子さんは1989年、認知症と診断された。政春さんは「妻と離れたくない」と仕事を続けながら在宅で介護したが、うまくいかなかった。君子さんは周囲とかみ合わない不安を募らせ、不安定になった。縁側に座り込み、「死にたい」と繰り返すようになった。介護に行き詰まり、ヘルパーを依頼した。君子さんが演歌が好きなことに気付いたヘルパーは、夫婦一緒に歌う時間を提案した。
 君子さんは新しい演歌も覚えた。楽しんでいる姿を間近に見て、政春さんが認知症に対して持っていた暗いイメージが一変した。高齢者医療が専門の老年内科医だったが、「認知症は、なった後は悪化する一方」と思い込んでいた。文献を読み、君子さんは「余命4年半」と覚悟もした。
 そんなとき、人の感性に働き掛け、笑顔を大切にする介護に出合った。症状の進行に伴う困難も乗り越え、君子さんは2013年に88歳で亡くなるまでの24年間、在宅で穏やかに過ごした。
 楽しい気持ちは失われることなく、積み重なっていく。政春さんは「記憶は奪われても、個性や感性、心は生きている」と気付いた。
 政春さんは10年前、自らも認知症になった。心は触れ合うことを実証しようと、5年前からヘルパーらと毎月、自宅で「認知症カフェ いきいき」を始めた。
 年明けのカフェ。常連だった93歳の女性が年末に亡くなったことを女性の長女が伝えた。
 女性はカフェで童謡を歌うことが好きだった。「認知症で行き先が少なくなった母にとって、皆さんと過ごす時間がとても大事だった」。昨夏から体調を崩してカフェに行けなかったが、ヘルパーらが電子オルガンを持って家を訪問するとベッドの上で喜んだ。食事が取れなくなり、声を出すことも難しくなったが、亡くなる2日前に童謡「たきび」の一節を口ずさみ、長女を驚かせた。心が響き合った。
 政春さんは、発症でできなくなったことを数えて悲観するより、できることに目を向けることが大切だと考えている。君子さんは演歌、カフェ常連の女性は童謡。政春さんは介護でやめていた囲碁を再開した。碁会所で週1回、たっぷり4時間打つ。毎月の戦績をパソコンに記録して励みにしている。記憶が薄れていく焦りから「救われた」という。
 「発症したら何も分からなくなる、人生はおしまい」ではない。政春さんは各地の演壇で否定を続けているが、話す内容を覚えていられなくなった。昨年10月に左京区でした講演が最後になりそうだという。「変えようと一生懸命頑張ってきたが、まだ100分の1しか到達できていない」
 政春さんは問い掛ける。「認知症になっても楽しく明るく、生き生きと暮らせる可能性はある。そんな日本になっていますか」

 超高齢化社会が到来し、5年後には認知症の人が700万人を超えることが予想されている。65歳以上の5人に1人。誰でも安心して暮らせる環境を築くことができるのか。第1部は、さまざまな場所で「ともに生きる社会」を模索する人の姿を通して、私たちが認知症とどう向き合うかを考える。=6回掲載予定です