23歳学生です。私には付き合って10カ月の社会人の彼氏がいます。最近、彼氏と一緒にいてもケンカをすることが多くなってきました。お互いに自分を過信しすぎるところがあり、相手の意見を受け入れられない時が多々あります。

 さらに、その状況は二人とも理解しているのですが、それでもなお二人ともが"自分の方が相手より我慢している"と思っており、なかなか埋められない溝があります。

 一方で彼のことは大好きですし、彼も私のことを好きだと言ってくれていて、その言葉に嘘はないと思っています。できれば別れたくないと思っているのですが、性格の不一致は間違いなく、この問題を乗り越えることができるのか不安です。最近は、無理なのではないかとすら思ってしまいます。

 やはり、性格の不一致ともあれば恋人としてやっていくのは難しいものなのでしょうか。それとも、なにか乗り越える術はあるのでしょうか。人生の先輩として、アドバイスをお願いします。

(23歳女性)

 

 

 人生の先輩として言うなら、この溝を埋めるのはなかなか難しい。20代の前半。人格形成としては最後の柔らかさを持っている時期だとも思うので、二人が歩み寄りながら性格を変えていくことができるかもしれないけれど、劇的な変化は望めないかもしれない。
 僕はこれまで20年以上高校で教員をしてきて、たくさんの生徒と出会ってきた。例えば、海外に1年間の留学に行った生徒と教室で再会すると、すっかり性格が変わったように感じることがある。
一方で、大学に入ってから留学した卒業生と再会すると、視野が広がったことでそれまでの性格が補強されたような印象を持つことが多い。

若さが持つ独特の柔らかさは、10代の終わりから20代にかけて刻一刻と変化していくように思う。まあ、これは僕の主観であり、まして、あなたたち二人の柔らかさは僕には分からない。でも、もしかすると、お互いの性格を根底から変えることで二人の間にある溝を埋めようと努力したけれど、やっぱり難しいなと感じたことが、今回相談を寄せてくれた理由なのかもしれないね。

そうだとすると、溝が埋まらなくてもやっていけるかどうかが問題になる。

愛するという行為に必要な要素を、エーリッヒ・フロムという心理学者が四つ上げている。配慮、責任、尊敬、知。この四つの要素はそれぞれにお互いを補い合っている、とフロムはいう。あなたたちが溝を明確に認めていることは「知」に属する。それを「配慮」によって補い合えば、ふたりの居心地がどんどん良くなることは想像に易い。もし、相手のことを「尊敬」できているのならば、それも助けになるだろう。「責任」は結婚をすればより明確になるのだけれど、今のあなたたちは「付き合っている」という少し無責任でも許される時期なので、例えば「別れる」という選択を視野に入れることも結婚した後よりはずいぶん自由だ。この先、お互いに責任を負い合う関係へと進むかどうかを、ゆっくり考えるのがいいと思う。
 
彼との関係を続けることは、ある面においては苦労を買いに行く部分があるかもしれない。さっさと見切りをつければ、もっと楽な、溝を感じない性格の人と出会えるかもしれない。でも、好きになってしまったんだからしょうがないよ、とも思う。苦労があることと不幸は違う。お互いの苦労が幸せへと繋がっていくのならば、喜んで苦労すればいいのだ。そして、僕は人生の先輩として、溝は埋まらなくてもやっていける、と言いたい。お互いの関係は日々変わる。その溝を楽しみ、尊敬しあえる関係を築けるかもしれない。

まずは、どこかに自分自身を不自由にしている固定観念がないか、検証することから始めよう。あなたが、あなたたちが、一番の幸せを選択し、つかみとってくれることを心から祈っています。

「それが僕らだね」 作詞作曲:原田博行

全く違うねって君が言う
そこが好きだって僕は言う

面倒臭いね でも それが僕らだね
好きになった ただそれだけが理由
少し不安だね でも それが僕らだね
今は まだ 大丈夫 大丈夫