はまの・ちひろ 1977年生まれ。雑誌にインタビュー、映画などについて寄稿。京都大人間・環境学研究科在籍中。2019年「聖なるズー」(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。

 拙著『聖なるズー』(集英社)は、ドイツにおける動物性愛者(ズー)たちを描いたノンフィクションだ。動物性愛とは、動物に対して心理的な愛着を持ち、ときに性行為にも発展する性愛のありかたを指す。ここ20年の間に一部の性科学者らの研究のなかで、動物性愛は性的指向のひとつと考えられるようになった。

 いっぽうで精神医学の領域では、性的な嗜好(しこう)に偏りを持つ症例「パラフィリア」に分類される。動物との性行為と聞けば、獣姦が頭をよぎる。だが獣姦と動物性愛は異なり、前者は時に暴力的行為さえ含むが、後者は動物に虐待を行うことはない。

 キリスト教社会では、動物との性行為は厳しく罰せられる性的逸脱とされた歴史が長く、当事者たちは自身の性を隠し通してきた。しかし、ドイツには世界唯一の動物性愛者による団体「ゼータ/ZETA」があり、動物性愛の認知促進や動物保護活動への取り組みを10年以上続けている。

 私はゼータの面々と共に日々を過ごし、彼らの実際の生活を通してズーという人々を理解していった。

 ドイツ社会は日本社会に比べセクシュアリティへの理解度や許容度が高い。といってズーが生きやすい社会ではまだない。ゼータのメンバーで実名を公表しているのはたったひとり、ミヒャエルという男性だ。

 これまでに幾度となく過激なハラスメントを受けた。実名を公表しなければひっそりと穏やかに暮らせたはずなのになぜ、と私は聞かずにいられなかった。彼は言った。「何も悪いことをしていないのに、なぜ隠す必要があるのか。偽って生きていくことに、僕は疲れ切ったんだ」

 性のありかたは自己を構成するひとつの重要な要素である。社会通念を内面化したためにそのあり方を悪しきものと思い込み、隠す辛さを彼は知り抜いている。「誰かがやらなければならないことだから」と彼はほほ笑みながらもしんどい様子で言う。

 次第に、彼に救われたというズーの若者たちも現れた。実名公表の重要性についてミヒャエルは「匿名性に隠れていては、政治への異議申し立てができない。実名を明らかにしてやっと、自分は現実に存在する市民なのだと主張できる」と話す。

 拙著刊行後、ある日本人から手紙が届いた。その人もズーだが、それを原罪のように感じ、苦しんできたという。封筒には実名があった。誰かが本当の名前とともに手紙をくれたことが、私にとって本を書いた価値となった。人の名前はずっしりと誰かに伝わる。実名とは、もっとも重みのある記号なのだと思う。(ノンフィクションライター)