「屈託ない笑顔を見せるようになったことが、うれしくて」。家族と在宅生活を始めた認知症の女性のマンションを訪問する増本敬子さん(2月23日、京都市北区)

「屈託ない笑顔を見せるようになったことが、うれしくて」。家族と在宅生活を始めた認知症の女性のマンションを訪問する増本敬子さん(2月23日、京都市北区)

 10年ほど前、介護福祉士の増本敬子さん(63)=京都市左京区=は、母が暮らす実家を訪れた。冷蔵庫に大量の変色したマグロの刺し身。認知症を疑ったが、「自分の母親は、ならない」と自分に言い聞かせた。
 母はしっかり者だった。増本さんが入院すると聞けば、着替えなど一式をまとめ、すぐに駆け付けてくれた。記憶の母と、目の前の母。落差に感情が追い付かない。増本さんと母が認知症と向き合った時には、さらに症状が進行していた。母は週3回も「通帳がなくなった」と銀行や警察に駆け込むようになっていた。
 「周りの温かい言葉は本人の不安を和らげる『薬』になる」。認知症と診断されたとしても、本人が早い段階で落ち着き、認知症と向き合う気持ちが持てれば、症状に対応した日常の備えができ、医師の適切な指導も受けられる。ただ最も近くにいる家族は簡単でない。増本さんも、いまは亡き母で痛感した。
 しかし、地域の人たちの言葉に救われた。増本さんが見守りの協力を頼んだ近所の人は、銀行に向かおうとする母を見ると、声を掛けてくれた。「もうじき家族が帰ってくるよ」。母は落ち着きを取り戻し、家に戻った。母は発症して亡くなるまでの8年間、自宅で穏やかに過ごした。

 増本さんは、自らが学んだことを確認して伝えようと、精神科医とグループ「おれんじ畑」をつくった。2016年から認知症の人との接し方を教える市民講座を開き、気持ちに寄り添う想像力と、自尊心を傷つけない言葉の大切さを訴えている。
 グループが山科区の特別養護老人ホームで入所者の協力を得て行った実地研修。認知症の70代の女性が菓子の包み紙をテーブルの花瓶の下に隠すようにした。増本さんは「大事なものかしら。お預かりしてもいいですか」と話し掛ける。女性のほほ笑みを確かめて、包み紙を手に取った。
 気持ちに寄り添う想像力。女性は、菓子をもらった経緯を忘れて「勝手にたくさん食べてしまった」と思い込み、しかられることが怖くて隠そうとしたのではないか。女性を傷つけないよう、「ごみを捨てる」という表現も避けた。
 これまで関わってきた家族の中からは「優しい言葉なんて掛けられない」という声もあった。受け入れがたさの裏返し。だが、行動をとがめられ続ければ本人もいらだち、家族との溝が深まっていく。愛情が報われない、そんな相談も多かった。
 「認知症にだけはなりたくない」。こんな会話が家庭や地域でされていたら、本人は家庭内で孤立し、家族は認知症を打ち明けることができずに追い込まれる。
 「みんな生まれた時から老いていく、誰でもなって当たり前。認知症をこう受け入れることができたら、身近な人の変化にも寛容になれるんじゃないかな」
 増本さんへは、予防についての講演依頼が多かった。1月下旬、高齢化が進む下京区の市営住宅で、助け合いの仕組みづくりを考える企画で講演した。自治会の代表者は「認知症を自分たちの問題と捉えたい」と会場に呼び掛けた。地域の意識も変わりつつある。
 「多少、物忘れがあったって、いいじゃない。こんな考えが1人、また1人と増えていけば、きっと優しい社会になる」