気品のある美人画で知られる日本画家の上村松園は、随筆「青眉抄(せいびしょう)」の中で日本初の公立美術学校「京都府画学校」で明治半ばに受けた教育について書いている▼まず25枚つづりの花の絵の手本を渡される。それを描いて教員に直してもらい、再度清書し、25枚全部が試験に通ると6級から5級へ進む。さらに級が進むと鳥や虫、山水、樹木、岩石、人物と順々に挑み、3年間で卒業した▼そんな様子を垣間見ることができる「京都府画学校への道」展が京都市学校歴史博物館(下京区)で4月7日まで開かれており、教わることが多い▼手本をひたすら写して画技を磨く訓練は臨画と呼ばれ、日本絵画の伝統でもあった。だが自由や個性が重視される大正期以降になると、次第に顧みられなくなる。引き替えに日本画で大事にされてきた運筆を教えられる人が少なくなってきたという話をよく耳にする▼時代の流れといえばそれまでだが、このまま伝統の技が廃れていくのはやはり寂しい。近年、古画を研究し、運筆を表現に生かす若手画家が出てきたと聞いた。大事にしたい動きである▼京都市立芸術大と銅駝美術工芸高のルーツでもある画学校ができて今年で140年になるそうだ。京都の美術史に果たした役割を振り返り、温故知新の機会になればと思う。