谷口君子さんと政春さん(1994年撮影)=政春さん提供

 谷口君子さんは64歳でアルツハイマー型認知症と診断され、夫の政春さん(95)が24年間、自宅で連れ添った。京都福祉サービス協会(京都市下京区)のヘルパーたちも、君子さんの「ピンチ」を君子さんの「チャンスに」を合言葉に支え続け、君子さんから「ケア」が意味することを学んだ。

 1992年、不安定になった君子さんが「死にたい」と言って座り込んだ縁側には、ミシンがあった。ミシンは、君子さんにとってかけがえのないもの。洋裁店生まれの君子さんの嫁入り道具だった。96年まで、君子さんはミシンで服作りを楽しんだ。
 ヘルパーは刺し子も提案、ミシンが使えなくなっても、君子さんは刺し子で花や波など美しい模様で布地を埋めた。楽しく過ごしていると、君子さんの不安は和らいだ。色鮮やかな折り紙のくす玉、素朴な植物画…。谷口家には君子さんが家族やヘルパーと紡いだ時間の証しがある。

 夫の政春さんが大切にしたのは、思いに寄り添うこと、いまある体の機能を生かすこと、感性を大事にすること。これら三つのことを、ヘルパーにも伝えた。

 君子さんとヘルパーたちは、「排せつを楽しむ」ことも取り組んだ。
 君子さんは1998年から失禁が増え、2000年ごろから「24時間おむつ漬け」という「ピンチ」に陥った。ひどいおむつかぶれを見かねたヘルパーが04年にポータブルトイレの利用を提案。亡くなるまでの約10年間、ポータブルトイレ中心の排せつを続けた。

 ヘルパーたちは政春さんと協力して君子さんをポータブルトイレに座らせ、つぼ押しで尿や便を促した。君子さんは話せなくなっていったが、呼吸が合えば便通で快音を鳴らし、音を通じてコミュニケーションした。
 ケアマネジャーとヘルパーを兼ねていた山田逸子さん(57)は「感動で便が美しく見えることもあった。君ちゃんはヘルパーに楽しみ、喜びを与えてくれた」と振り返る。

谷口家のアルバムの1ページ。排せつ介助のため夜間に訪れたヘルパーたちと君子さん(2012年ごろ)

【君子さんの24年間をたどるスライドショー】