奈倉道隆さん

 老年科医師の奈倉道隆さん(85)=京都市伏見区=は10年前、人の名前や約束を覚えられなくなってきたことに気付いた。当時撮った頭部MRIの画像には、灰色の脳に黒い隙間がある。「大脳半球に萎縮を認めます。専門医を受診してください」と脳ドック成績表に記されていた。

 


 アルツハイマー型認知症が疑われた。翌春から大学院で指導する予定だった。「断った方がいいのか」。神経内科医で「認知症の人と家族の会」の顧問を務める中村重信さん(81)=上京区=に相談した。中村さんは奈倉さんの生活に問題がないことを確認し、仕事を続けることを勧めた。
 認知症は、病気やけがなどが原因で脳の機能が低下し、日常生活に支障をきたすようになった状態を指す。脳が萎縮していても、生活に問題がなければ認知症ではない。
 認知症の手前の「軽度認知障害(MCI)」という状態もある。いったんMCIと診断されても、その後、健常に戻る人もいる。
 中村さんは「認知症の初期診断は難しい。経過を追うことが重要だ」と指摘する。奈倉さんの場合は「働いた方が、認知症の始まりであったとしても進行を遅らせることができると判断した」。
 生活の状態や継続を重視する考えに、奈倉さんも共感した。長年にわたって医療と宗教や介護の融合を目指してきた奈倉さんにとって、診断された症状への医学的治療が全てではないとする中村さんの姿勢は、納得できるものだった。
 奈倉さんは、仏教とキリスト教を学び、それぞれの教えを心のよりどころとしてきた。認知症が疑われたことにも落胆しなかった。キリスト教の教えから「神様がそのようにつくられた」とあるがままに受け入れ、「認知症と生きていこう」と社会生活を続けた。
 もちろん、予定は必ずメモするなど、日常生活の中で困りごとを減らす工夫も重ねた。
 仏教の教えからは、「因(原因)」よりも、人間関係や環境などの「縁」を整えることに目を向けた。
 奈倉さんは介護福祉士の資格も取り、大学で学生たちに教えていた。介護は環境づくりを重視する。奈倉さんはボランティアで訪れるデイサービスでお年寄りが楽しそうにおしゃべりしたり、体操で生き生きと体を動かしたりする様子を見て、介護の力、そして、それぞれの人の能力や尊厳を実感する。
 脳の萎縮が見つかり、10年。奈倉さんはきょうも日常生活を送る。忘れやすくなった「原因」よりも大切なことがある。「忘れることに備える環境づくりが一番大事。環境が整えば、幸せに暮らせる」

ボランティアで訪れている京都市醍醐老人デイサービスセンターの食事前、口の体操で舌を出す奈倉さん。昼食のお膳を下げるなどの手伝いのほか利用者との会話を楽しむ。「心が安定すれば利用者は穏やかに過ごせる」(12日、京都市伏見区)